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西本願寺の歴史 

2015年06月20日 外部ブログ記事
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西本願寺(浄土真宗本願寺派の本山)

真宗大谷派の本山「東本願寺」と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれる
親鸞の廟堂は、京都東山に創建されたが、比叡山延暦寺から迫害で、場所は転々
現在地は、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した
BS11『京都の国宝を訪ねて』の番組より










西本願寺(ネットより引用)

西本願寺の国宝と重要文化財
国宝(御影堂、唐門、「重之集」の帖末、書院、北能舞台、飛雲閣
重文(御影堂門、阿弥陀堂門、経蔵、太鼓楼、手水所(重文)

西本願寺の歴史
豊臣秀吉により寺地の寄進を受け、大阪天満から移転
関ヶ原合戦より、徳川家康に協力した、教如を門主にすると考えもあったが、分立させることになった
堀川六条の本願寺『西本願寺』烏丸七条の本願寺『東本願寺』と通称されてる
幕末期には、京都を守る剣客集団新選組の本拠地ともなってい

飛雲閣
対面所と白書院からなり、両者は元来別々の建物でした
能舞台は、広庭に南面してあります
東縁側に面して枯山水の「虎渓の庭」が設けられています
池から船で直接建物内に入る形式の「船入の間」主室の招賢殿、茶室憶昔席が有ります

黒書院及び伝廊
黒書院は、伝廊とともに国宝に指定されています
白書院が表向きの接客空間で、黒書院は門主の生活の場としての内向きの空間です
黒書院は現在も門主の私的空間として使用されているため非公開です

唐門
境内東側の御影堂門、阿弥陀堂門がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐門は書院への正門です
総漆塗り、極彩色彫刻と鍍金金具で装飾しており、日暮し眺めても飽きないので「日暮門」の俗称があります
金具の各所には桐紋と菊紋が打たれ、聚楽第の遺構とも伏見城の遺構とも言われています

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