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平成の虚無僧一路の日記

義和団事件と柴五郎 

2010年12月06日 外部ブログ記事
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12/ 5 NHK『坂の上の雲』を見て、そのまま
テレビを附けっ放しにしていたら、11時から
『蒼茫の昴』が始まった。浅田次郎原作、日中
共同制作で、今年の1月からBSで放送されて
いたものの再放送らしい。知らなかった。
西太后の役が田中裕子。西太后の貫禄はないと
思うが、中国では「そっくり」と評判だそうな。

さて、丁度、「柴五郎」が出てきた。柴五郎は
会津人として初めて陸軍大将になったことで、
会津人にとってはヒーローだ。

戊辰戦争の時 8歳。母も祖母も姉妹も自決し、
戦後、父と下北へ移住。そのへんの事情は『ある
明治人の記録』として出版され、話題となった。

1877年(明治10年)陸軍士官学校に進み、(第3期)
同期には、「坂の上の雲」の秋山好古がいる。

1900年(明治33年)、清国公使館附駐在武官として
北京に着任。「義和団の乱」が起こる。当時日本の他
11カ国の公使館が在り、2ヶ月間にわたり、包囲され
籠城戦となった。その時、総指揮をとり、守り抜いた
功績により、柴は各国政府から勲章を授与された。

ロンドンタイムスはその社説で「籠城中の外国人の中で、
日本人ほど男らしく奮闘し、その任務を全うした国民は
いない。日本兵の輝かしい武勇と戦術が、北京籠城を
持ちこたえさせたのだ」と記した。そして、柴五郎は、
イギリス公使の絶大な信頼を得、その後の「日英同盟」
締結の影の立役者となったのだ。

私が高校の頃『北京の55日』というアメリカ映画があり、
チャールストン演じるアメリカ人少佐の活躍で、義和団を
追い払うという内容だった。史実は、アメリカは参加して
おらず、「あのヒーローは柴五郎のことだ」と憤ったもの
である。

もっと陽の目を見てもいい人物だが、「会津人であるが
故に評価されなかった」と云うのは「会津人のひがみ」か。


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