メニュー
最新の記事
テーマ
カレンダー
月別
- 2024年01 月( 19 )
- 2023年12 月( 32 )
- 2023年11 月( 30 )
- 2023年10 月( 37 )
- 2023年09 月( 29 )
- 2023年08 月( 32 )
- 2023年07 月( 34 )
- 2023年06 月( 29 )
- 2023年05 月( 32 )
- 2023年04 月( 28 )
- 2023年03 月( 25 )
- 2023年02 月( 27 )
- 2023年01 月( 31 )
- 2022年12 月( 32 )
- 2022年11 月( 29 )
- 2022年10 月( 32 )
- 2022年09 月( 29 )
- 2022年08 月( 30 )
- 2022年07 月( 30 )
- 2022年06 月( 30 )
- 2022年05 月( 31 )
- 2022年04 月( 29 )
- 2022年03 月( 32 )
- 2022年02 月( 27 )
- 2022年01 月( 31 )
- 2021年12 月( 31 )
- 2021年11 月( 30 )
- 2021年10 月( 33 )
- 2021年09 月( 30 )
- 2021年08 月( 31 )
- 2021年07 月( 30 )
- 2021年06 月( 30 )
- 2021年05 月( 32 )
- 2021年04 月( 30 )
- 2021年03 月( 32 )
- 2021年02 月( 28 )
- 2021年01 月( 32 )
- 2020年12 月( 32 )
- 2020年11 月( 30 )
- 2020年10 月( 32 )
- 2020年09 月( 30 )
- 2020年08 月( 32 )
- 2020年07 月( 34 )
- 2020年06 月( 30 )
- 2020年05 月( 32 )
- 2020年04 月( 30 )
- 2020年03 月( 34 )
- 2020年02 月( 29 )
- 2020年01 月( 31 )
- 2019年12 月( 32 )
- 2019年11 月( 36 )
- 2019年10 月( 36 )
- 2019年09 月( 35 )
- 2019年08 月( 34 )
- 2019年07 月( 37 )
- 2019年06 月( 35 )
- 2019年05 月( 32 )
- 2019年04 月( 38 )
- 2019年03 月( 34 )
- 2019年02 月( 35 )
- 2019年01 月( 33 )
- 2018年12 月( 38 )
- 2018年11 月( 35 )
- 2018年10 月( 36 )
- 2018年09 月( 32 )
- 2018年08 月( 31 )
- 2018年07 月( 34 )
- 2018年06 月( 41 )
- 2018年05 月( 33 )
- 2018年04 月( 35 )
- 2018年03 月( 37 )
- 2018年02 月( 39 )
- 2018年01 月( 39 )
- 2017年12 月( 36 )
- 2017年11 月( 34 )
- 2017年10 月( 33 )
- 2017年09 月( 42 )
- 2017年08 月( 40 )
- 2017年07 月( 34 )
- 2017年06 月( 33 )
- 2017年05 月( 36 )
- 2017年04 月( 32 )
- 2017年03 月( 33 )
- 2017年02 月( 30 )
- 2017年01 月( 34 )
- 2016年12 月( 35 )
- 2016年11 月( 37 )
- 2016年10 月( 31 )
- 2016年09 月( 38 )
- 2016年08 月( 32 )
- 2016年07 月( 50 )
- 2016年06 月( 36 )
- 2016年05 月( 35 )
- 2016年04 月( 35 )
- 2016年03 月( 37 )
- 2016年02 月( 41 )
- 2016年01 月( 35 )
- 2015年12 月( 35 )
- 2015年11 月( 38 )
- 2015年10 月( 44 )
- 2015年09 月( 36 )
- 2015年08 月( 38 )
- 2015年07 月( 37 )
- 2015年06 月( 31 )
- 2015年05 月( 37 )
- 2015年04 月( 35 )
- 2015年03 月( 41 )
- 2015年02 月( 30 )
- 2015年01 月( 42 )
- 2014年12 月( 35 )
- 2014年11 月( 35 )
- 2014年10 月( 36 )
- 2014年09 月( 32 )
- 2014年08 月( 32 )
- 2014年07 月( 33 )
- 2014年06 月( 28 )
- 2014年05 月( 31 )
- 2014年04 月( 31 )
- 2014年03 月( 40 )
- 2014年02 月( 39 )
- 2014年01 月( 41 )
- 2013年12 月( 43 )
- 2013年11 月( 42 )
- 2013年10 月( 56 )
- 2013年09 月( 57 )
- 2013年08 月( 53 )
- 2013年07 月( 50 )
- 2013年06 月( 43 )
- 2013年05 月( 56 )
- 2013年04 月( 54 )
- 2013年03 月( 43 )
- 2013年02 月( 41 )
- 2013年01 月( 40 )
- 2012年12 月( 46 )
- 2012年11 月( 58 )
- 2012年10 月( 64 )
- 2012年09 月( 38 )
- 2012年08 月( 40 )
- 2012年07 月( 50 )
- 2012年06 月( 48 )
- 2012年05 月( 59 )
- 2012年04 月( 50 )
- 2012年03 月( 53 )
- 2012年02 月( 45 )
- 2012年01 月( 52 )
- 2011年12 月( 55 )
- 2011年11 月( 57 )
- 2011年10 月( 41 )
- 2011年09 月( 62 )
- 2011年08 月( 57 )
- 2011年07 月( 56 )
- 2011年06 月( 60 )
- 2011年05 月( 55 )
- 2011年04 月( 57 )
- 2011年03 月( 58 )
- 2011年02 月( 47 )
- 2011年01 月( 59 )
- 2010年12 月( 62 )
- 2010年11 月( 54 )
- 2010年10 月( 63 )
- 2010年09 月( 61 )
- 2010年08 月( 67 )
- 2010年07 月( 89 )
- 2010年06 月( 110 )
- 2010年05 月( 106 )
- 2010年04 月( 93 )
雑感日記
淡水会野球クラブ総会および懇親会
2010年12月06日
テーマ:テーマ無し
★先週の土曜日、淡水野球クラブの総会があって参加した。
どんな内容か、実際はどんなことだったかは、このブログの通りで終日みんなが楽しんだ。
末尾に付けた総会議題と内容は、確かにその通りなのだが、それに要した時間はほんの数分で、
朝10時から夜遅くまで、参加した人たち現役も、若いOBたちも旧い人たちにとってもそれぞれ楽しい、年に一度のお祭りのようなOB総会なのである。
大体、参加費1万円が半分寄付みたいなもので、遠方で参加できないOBたちもオークションの商品提供で参加するなどなかなかのアイデアなのである。
昨今、この種のOB会などへの若手OBの参加が少なくて寂れていく傾向の強い中で、年々若手OBたちの増えていくこの会合は特筆ものであると思う。
★このスタイルのOB会になったのは前会長の太田武郎さんからである。
それまでは、私も出席などしたことはなかったのだが、2年上のキャプテンであった太田さんやマネージャの多田さんに言われては、欠席するわけにはいかなかったのである。
オークションの商品提供なども、私も現会長の原田くんもカワサキ現役だったので、カワサキの用品類も結構気前よく提供したものである。
太田さんの後を受けて原田君が会長になってからは、さらにいい傾向に発展して、最近の若手OBの多数の参加をみるまでになった。
このブログをお読みの方の中にも、『原田が会長ならさもありなん』と納得される方も多いと思う。 想像されるとおりの誠にざっくばらんな運営になっているのである。
そして現役たちにとっては、年次会費のほかに、1日で60万円もの援助金がオークションなどで集まるのである。
★昨今は、私自身も上から数えて何人目の位置にいるのだが、
あまりみっともない動きだけはしたくないと自分自身を叱咤激励して日頃ストレッチなど続けていて、喜寿の割にはちゃんと走れたり投げたり出来るのである。
今年はホントの優秀選手に交じって、ピッチャーの投げる速い ボールを打つ軟式野球への参加を評価して頂いて特別賞を頂いた。
今年は白内障でボールが見えにくかったが、来年1月には白内障の手術をするので来年は今年以上に頑張りたいと思っている。
★そんなOB会であったが、ヨコに坐られた2年先輩の多田さんに、オモシロイ話を初めて聞いたのでご紹介しよう。
われわれの現役時代リーグ戦で使っていた球場は、あの甲子園球場なのである。
そのおかげで、私がプレーした回数の一番多い球場は 『甲子園球場』 なのである。
高校時代の県の予選でも、正月の高校のOB戦も甲子園だったのでで、甲子園球場はそんなに特別の球場でもなかったのである。
でも、なぜ甲子園を使えるようになったのか? そんな経緯は全然知らなかったのだが、多田さんに教えて貰ったのである。
多田さんは大阪の高校ご出身で、大学でも直ぐマネージャーをされた。
たまたま高校の先輩が阪神電鉄のエライさんで、当時リーグ戦の球場が決まっていなかったので、その阪神電鉄の先輩に甲子園を貸して貰えないかと頼みに行ったそうである。
それも厚かましく 『無償で貸して貰えませんか』 とお願いしたら、
『無償はダメだが、1000円払え。その代わり阪神電車の無償の切符をやる。』ということで決まったそうである。
当時の1000円は今の1000円とは値打ちが違うが、甲子園を1日1000円で貸して貰ってリーグ戦を戦っていたと言うのは、今の人たちにとっては夢物語だろう。
私が入部したころは、関西6大学は西宮球場、近畿6大学は甲子園球場が当たり前だったのである。
それなのに、リーグ戦の球場が甲子園から大阪の日生球場に変わってしまうのだが、
それは別に甲子園から追い出されたのではなくて、他の5校は大阪や和歌山の大学で兵庫県は本学だけだったので、みんな 『甲子園よりは日生の方が近くて便利』 という連盟のほうからの希望で出て行ったのだそうである。
野球の事ばかりでそんな連盟の裏話は全然知らなかったのだが、今の選手たちが聞いたらどんな風に感じるだろう。
60年近くも前は、そんなのんびりしたいい時代だったのである。
私が数多く甲子園でプレーできたのは、多田さんのお陰とは知らなかった。
★ The Good Times Tumblr 会員さんのon time のブログ集です。
Twitterブログパーツ
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません