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お大師さま(1) 

2015年06月03日 外部ブログ記事
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弘法大師の伝説

伝説は、日本各地に5,000以上あり、大師の足跡をはるかに越えています
伝説形成の底辺には、大師の幅広い分野での活躍、大師への尊崇があります
伝説の内容は、寺院の建立や仏像などの彫刻、聖水、岩石、動植物など多岐にわたります
大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となった場所は、日本全国で千数百件あります
大師が発見したとされる温泉は、日本各地に存在します










いまこそ知りたい弘法大師200のおしえ他(ネットより引用)

空海とは
平安時代初期の僧、弘法大師で知られる真言宗の開祖です
日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、奈良仏教から平安仏教への変更期中国より真言密教をもたらす
能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている

空海の幼少期
香川県善通寺市生まれで、母方の舅である阿刀大足に論語、孝経、史伝、文章などを学んだ
15歳になり、京の大学寮に入った

空海の仏道修行
大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入った
吉野の金峰山や四国の石鎚山などで山林修行を重ねた
『大日経』を初めとする密教経典に出会ったのもこの頃です
室戸岬の御厨人窟で修行をしているとき、口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできたと記されている
このとき空海は悟りを開き、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗った
空海の得度は、入唐直前31歳の年に東大寺戒壇院で得度受戒しました

空海入唐求法
正規の遣唐使の留学僧として、最澄・橘逸勢・霊仙らと伴に唐に渡る
最澄は、天皇の護持僧で、仏教界に確固たる地位を築いていたが、空海は無名でした

空海唐での2年間
長安で空海は、醴泉寺の印度僧般若三蔵に学びました
密教を学ぶために、梵語に磨きをかけ、般若三蔵から梵語の経本や新訳経典を与えられている
唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、大悲胎蔵の学法灌頂、金剛界の灌頂を受ける
恵果和尚からは阿闍梨付嘱物を授けられた
恵果和尚が60歳で入寂し、空海は全弟子を代表して和尚を顕彰する碑文を起草した
土木技術や薬学をはじめ多分野を学び、経典などを収集した
遅れて唐に再渡海していた遣唐使判官の高階遠成の帰国に便乗する形で帰国の途についた
五島列島に寄港し、五島列島の大宝寺で、真言密教を開宗し大宝寺は西の高野山と呼ばれた

空海の言葉「虚しく往きて実ちて帰る」
2年前無名の一留学僧として入唐した空海の成果がいかに大きなものなのかを示している
空海は無事帰国し、大宰府に滞在する
唐から空海が持ち帰ったものは、多数の経典類、両部大曼荼羅、祖師図、密教法具、阿闍梨付属物などです
「未だ学ばざるを学び、〜聞かざるを聞く」空海が請来したのは密教を含めた最新の文化体系でした
帰国後2年間、大宰府・観世音寺に止住し、密教図像を制作していました

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