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雑感日記

江戸時代の東京 

2015年05月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



    
★地図を見るのは結構好きである。
道や方角にも興味関心がある。
先日、東京に行ったときに、こんな江戸時代の地図が印刷されているものを、村島さんに頂いた。
 
「お城」は今の宮城なのだが、これが広いのはよく解るが、紀伊殿、尾張殿などの大名屋敷がこれがまた広いのである。
お城の周りは屋敷は小さいが、多分これは旗本たちの武家屋敷なのだろう。
町民たちは、どのあたりにどのように住んでいたのだろうか?
 
江戸時代に江戸に何人の人がいたのか?
Wikipedia などで調べてみても、もう一つよく解らない.
 
日本の人口が明治の初めに3000万人などとあったので、まあ多くても100万か150万人ぐらいなのだろう。
 
 

 
  
 
 
人口が少ないから、土地などは昔は大した価値などなかったのかも知れない。
一橋殿の屋敷は十万坪と6万坪が並んで記されている。
これらの屋敷など明治以降どのように引き継がれて、今の東京になったのだろうか?
 
つい先日、テレビで徳川家康の位牌の大きさな当時のご自身の背丈の大きさだとか云っていたが、歴代の将軍の位牌はみんな160cm以下というから、今から思うと小さかったのである。
いろんなこと調べていたら、
 
  
 
 平均寿命は、昔の2倍、3倍になっている。
私は、昔の人の倍も生きていることになる。そのうちに100歳は普通になるのかも知れない。
 
 
   
 
 
身長の記録がまた面白い。
縄文時代や古墳時代の人のほうが大きくて、江戸時代や、明治時代のほうが小さくなっている。
 
身長も、平均寿命も、現代の変化は極端である。
そんな時代に生きているのである。

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