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平成の虚無僧一路の日記

宿河原 

2015年04月09日 外部ブログ記事
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南武線の宿河原に行ってきた。 鎌倉時代の最末期1333年に書かれたという『徒然草』の 115段に「宿河原」というのがある。「宿河原という所で ボロが争って相い果てた」と言う話。ボロは虚無僧の 源流とされる。 「つれづれなるままに」で始まる吉田兼好の『徒然草』は 高校生でも知っているが、115段を知る人は少ない。 ネットで「宿河原」の碑があることを見知っていたが、 宿河原駅を下りて、駅員に聞いても、交番でも、お寺でも、 年配の人に尋ねても、誰も「知らない」という。がっかり。 町の人は全く無関心のようだ。 ひとまず多摩川の土手に出た。河原には 700年昔と同様、 ホームレスとおぼしき人々が小屋を建てて生活していた。 その身なりは結構まともな服装なのだ。決してボロボロの 汚れた格好ではない。 散歩している母娘二組が向こうから来たので訊いてみた。 「知っている」という。「散歩で見たが、内容が難しくて 判らなかった」と、若い母と中学生くらいの娘が教えて くれた。 宿河原駅より1.5kmほど川下、もう隣りの久地 (くじ) 駅に近い。 東名高速道下の水路脇にあった。東名を走る車の騒音の中、 尺八を取り出して一曲。水路沿いの桜は5分咲き。散歩の 人もチラホラ。だが皆、尺八の音にも無関心を装う。
「吸江流尺八と一休語りの虚無僧・牧原一路」ホームページも見てください。
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