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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

群れに戻った羊が見たもの(6) 

2015年03月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 この項は「群れに戻った羊が見たもの(5)」からの続きです。

 

 他愛ない話題で「群れに戻った羊が見たもの」を綴ってきましたが、

今回は、これだけは触れておかなくてはならない深刻な問題です。

2〜3回のつもりでしたが、ついつい。

 

 日本に帰って来て、特にやり切れない暗い気持ちになるのは

少年たちの陰湿で凄惨な暴力や殺人といった犯罪が

多発していることです。

最近では名古屋市で女子大学生が「殺人願望」からなのか

知人の女性を殺害。川崎市では中学生が仲間から惨殺されるなど、

未成年者の狂気の犯罪が連続していますね。

 

 統計上は少年の事件はこのところ減少しているといいますが

いじめや恐喝に始まり、SNS上の誹謗中傷、

それにリンチ殺人など、枚挙にいとまがありません。

かつて「非行」と呼ばれた事件などは統計にも反映されない事態に

なっているのかも知れません。

 

 その原因究明と対策は専門の方々にお任せしなくてはなりません。

また、私など素人が安易に原因などを論ずることは無謀ですが、

私は「少子化」、「ゆとり教育」、「ウェブ中毒」、それに「群れ社会」と

「距離感の喪失」が現下の状況を生んだキーワードだと思います。

 

 厚労省の人口統計によりますと、戦後270万人ほどあった出生数は

2014年には約100万人にまで減少してしまいました。

女性が一生の間に産む子供の数も平均4.5から1.4にまで低下。

つまり、大ざっぱに言えば、かつては一家に4〜5人いた子供の数が

近年では一人か二人になってしまいました。

 

 子供の数が少ないという環境では当然、子供は大事に育てられ

教育も手厚くなるでしょう。欲しい物は我慢しなくてもすぐに手に入ります。

とても良いことではあります。

 

でも、かつて路地にあふれていた子供たちは

兄弟や友達と上手く折合いを付けて仲間の輪に加わり、

その過程で悔しさと自信、我慢すること、それに正義感も覚えました。

多少粗暴であったかも知れませんが、

群れの人間関係の中で親しみや尊敬、思いやりなど、社会意識が

醸成され、貧しくとも何とか健全に成長したのだろうと思います。

 

 こうした環境で揉まれることなく、軟弱に育った子供たちが

「ゆとり教育」の負の側面にさらされると、

中には、知識と感情のバランスを欠き、

軽薄と凶悪がないまぜになった少年が生まれても

不思議ではありません。

 

「ゆとり教育」そのものは子供たちの個性を伸ばし、

落ちこぼれや学力偏重の弊害をなくして社会性を醸成しようと

1980年から始まりました。その理念は評価されても良いでしょう。

しかし、先述した「負の側面」、すなわちゆとりそのものを体現できない

教師がいくら指導しても「本当のゆとり」は誰も分からず、

結局、何でも「頑張らず、我慢しないことがゆとりだ」と錯覚して、

一面的な指導に陥っていたのではないでしょうか。

 

 その結果、「ゆとり世代」の少年、若者は、他人の痛みが理解できず、
判断能力が劣り、自制心も薄弱で、自我意識だけは異様に伸びて

中には、凶悪な犯罪を犯す者が出て来ても、

それは当然の結果だろうと思います。
そういう若者がそのまま大人になり、子供を「再生産」する訳ですから

恐ろしいことです。

 

 この問題は今回だけでは紙面が足りません。

次回「群れに戻った羊が見たもの(7)」に続きます。

 

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