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朱鷺の“人生七転び八起き”
世界は自分の都合で出来ていない!
2015年02月17日
テーマ:テーマ無し
ある日のKさん。自分が上手くいったと思うとダメ。ダメだな〜と思っていると上手くいっている。これって・・・どうして? と言う。自分の予測と、未来が違っている。この現象は、なに? ってことなのですが。そりゃー。世の中を自分の都合に合わせて見ようとしているだけじゃないの?ってなことで。ちょい考察。世界の構造、その認識のズレがこういう事態を生み出している。となるのかな〜で、見直してみたのよ。「私はある」となっている。世界はこうなっている、と。事実、体験として子供から大人への肉体的・精神的・環境の変化。現実に「ある」としか思えないもの。なにかを欲しいと思った過去。それを手に入れるために頑張る、今。手に入れるはずの未来。の流れの中に私たちは、いる。と・・・思っている。世界は物理的・・・ということを本質に捉えると、原因があり結果があるという時間の流れがある。過去があり現在があり未来がある。のような流れに落とし込んで、現実を見ている。しかし・・・逆なんですね。物理的には、世界は作られていない。最初に未来があって、それに追いつくように現在が起きる。そののちに、起きたものを過去として見ている。そんな構造と見てみると・・。そうであれば物理的にも、私たちが現在から「創造していく」が、起きているように未来と出会う。「現在」に真に立つから、新しいものが始まる。物理的な地点からモノゴトを見ると、「こうであるべき・こうなるべき」の過去にしか出会えない。となる。まっ。あれですね。さまざまな矛盾とか、分っていても現実的ではないとして理解に進めないような問題点? なども、あっという間に解決してしまう。すでにある未来であるなら、努力して、意志の力で、それ次第で作られる、などなどが、一切意味のないものになる。過去にあったことで、アレだったから今こうなっていると後悔することもない。今と過去が、関連ない・・・ならば誰かを恨むこともない。「なにかを、なんとかしよう」と動こうとしても、無力(葛藤でしかない)なことが、あっさりと、分りそうなものですが?自力で何かに成ろう得ようというのは、ありえないことですから。自分の一切を、任せきる・・・。って、そういう状態ではなかろうか。そうすると〜現在にできることは、結果の予測なし、いまを大切に誠実に生きる。しかないのだね。
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