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2015年01月29日 外部ブログ記事
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江戸の文化人榎本武揚

幕臣、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵
6ケ国の言葉を話、国際法、化学、航海術等に優れていました
NHK(智恵泉)より




















榎本武揚(ネットより引用)

福沢諭吉、榎本武揚に対して
福沢諭吉『忠臣は2君に仕えるな』と批判的に
榎本武揚『君(徳川幕府・新政府)仕えるのでなく国に仕える』

榎本武揚海軍副総裁就任まで
婿養子として幕臣になる(伊能忠敬の弟子)
昌平坂学問所で、儒学・漢学、ジョン万次郎の私塾で英語を学ぶ
長崎海軍伝習所に入所、国際情勢や西洋の学問や航海術・化学を学ぶ
オランダ留学では、国際法や軍事知識、造船や船舶に関する知識を学んだ
帰国後、幕府海軍軍艦頭並に任命される

榎本武揚と戊辰戦争
戊辰戦争では、幕府艦隊は大阪湾に停泊し薩摩藩海軍に勝利した
鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗北し、慶喜が江戸へ引き揚げたので、榎本も江戸へ引き揚げた
江戸へ撤退後、榎本は新政府軍との主戦論を主張し、幕府海軍艦隊を引渡すことを要求され榎本は拒否
榎本は、抗戦派の旧幕臣とともに江戸を脱出し、奥羽・蝦夷を目指し、蝦夷箱館の五稜郭に入城した
榎本は、「蝦夷共和国」を樹立し、選挙の実施により総裁となった
『箱館戦争』で新政府軍との戦いで、戦費の枯渇等で敗戦し、榎本は降伏した

榎本武揚『箱館戦争』降伏
降伏状に添えて、オランダ留学で学んだ『万国海律全書』を蝦夷征討軍海陸軍総参謀黒田了介に送った
黒田は、榎本の非凡な才に感服し、各方面に説諭、熱心な助命嘆願活動により榎本は、一命をとりとめた

榎本武揚閣僚の明治時代
榎本は、才能を買われて新政府に登用され、北海道鉱山検査巡回を命じられた
駐露特命全権公使となり、樺太・千島交換条約を締結した
内閣制度の成立後は能力を買われ、6つの内閣で逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣を歴任
子爵に叙され、大日本帝国憲法発布式では儀典掛長を務めた
享年73歳で死去、墓所は東京都文京区の吉祥寺

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