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昭和2年生まれの航海日誌

消え残る村の飲兵衛たち(3) 

2015年01月15日 外部ブログ記事
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 「この字には居なかったのか」
 「居たさ」
 その人は、
 お前の遊び友達で昭一の叔父に当たり、皆は
忠伍やん、と呼んでいた。

 昭一の家は、ワシらが物心がつく頃は斜陽であったが、
それでも白壁の蔵が三つ建ち残っていた。
 親父が久一と云う人で、馬ずきで葦毛の農耕馬を飼って
居たのを知っている。
 そんなこともあって、忠伍やんは草競馬の騎手として、
宮川や霞ヶ浦へ出場していた。

 競馬が終わても賞金が出るわけではないが、振舞い酒には
ありつけた。それが報酬であり目当てだったのである。
 もともとが酒が大好きであった。
 分家はさせてもらったが、農業には励まず、酒につぎ込んで
貧しい暮らし暮らしをしていたが、家を引きはッらって他所へ
移転してしまった。

 この男も又気が良くさっぱりしていた。
 ”かいどり”をしていたのを兄貴と見に行ったとき、番人役を
していたいた忠伍やんが、
 「そら」といって一番大きいウグイをほり投げてくれた。

 抱きかかえて家まで走り帰った。
 でも、忠伍やん、仲間に詰問されるのではないかと、子供心

でも心配したものである。

 あの時から何年過ぎた頃だろう、氏神様の遷宮のとき、
  
どんど火を囲んでいたでたところへ、忠伍やんが馬できた。

郷里が忘れられるものではない。

 皆が焼き餅を御馳走した。
 温まり、腹も満たされて、礼を言って馬にまたがった。

 夕闇の迫る道を、少しばかりゆっくりすすめ、一鞭あってて
駆け去って行った。

 遠ざかり、人馬とも姿が見えなくなた暗闇の中に蹄鉄から
飛ぶ火花だけが後を追っていった。

 もう一人、すぐ隣に馬好きで飲兵衛がいた。
 宋左さんである。
 この人の乗り方はすさまじかった、まるで曲芸であった、と
いまでも語り草になっている。

 酒と馬が大好きで、気風のよさをもちあわせていた。

  

 

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