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妻と娘は綱吉のお手つき? 

2015年01月07日 外部ブログ記事
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江戸時代の幕閣

牧野成貞 ⇒上野館林藩家老、徳川綱吉の側用人、下総関宿藩主
堀田正俊 ⇒大名、老中・大老、上野安中・下総古河藩藩主
















江戸の文化人(ネットより画像引用)

牧野成貞履歴
異例の出世を遂げた成貞であったが、妻と娘は徳川綱吉のお手つき
綱吉の傍若無人に耐えかね、「牧野家は自分一代限りにしたい」と漏らす
綱吉の寵愛が柳沢吉保に移り、牧野成貞は、苦悩を深めました

堀田正俊履歴
老中正盛の三男として生まれ、春日局の養子となり、小姓に任じられて頭角を現す
家光の死去に際して、父が殉死すると、遺領を分与され大名となり、上野安中藩2万石も与えられた
家綱の死去にあたり、大老・酒井忠清と対立して、家綱の異母弟である綱吉を推した
綱吉が5代将軍に就任すると忠清に代わって大老に任ぜられる
牧野成貞と共に「天和の治」と呼ばれる政治を執り行ない、財政面において大きな成果を上げた
若年寄の美濃青野藩主・稲葉正休に江戸城内で刺殺された

堀田正俊暗殺陰謀説
正俊が暗殺される直前に、綱吉は生類憐れみの令を布くことを表明しており、正俊は反対していた
両者の間に溝が生まれたことから、「綱吉による陰謀説」がある

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