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明治天皇 

2014年12月20日 外部ブログ記事
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明治天皇⇒第122代天皇

倒幕・攘夷派の象徴、近代日本の指導者と仰がれました
戦前・戦中には、明治大帝、明治聖帝、睦仁大帝とも称されました
戦後の日本史の教育では、江戸時代で終わり、明治時代は余り触れられません
















明治天皇(ネットより引用)

明治天皇略歴
孝明天皇の第二皇子、京都石薬師(上京区)の中山邸にて生誕
孝明天皇が崩御、満14歳で践祚の儀を行い皇位に就く(立太子礼を経ずに天皇)
一条美子を皇后に冊立する
糖尿病が悪化し、尿毒症を併発し、満59歳で崩御

幕末の動乱
薩摩藩を中心に討幕論が形成され、幕府と討幕派は、朝廷への工作を強めた
討幕派が優勢になり、征夷大将軍・徳川慶喜が大政奉還の上奏を行う
形式的に政権を朝廷に戻されたが、徳川幕府の統治機能は存続
討幕派は、王政復古の大号令を発し新政府樹立
結果、旧幕府勢力と新政府は軍事衝突(鳥羽・伏見の戦い)新政府軍が勝利した
新政府軍は、旧幕府勢力を「朝敵」「賊軍」とし戊辰戦争を経て旧幕府勢力を平定

新時代(明治)
五箇条の御誓文を発布して新政府の基本方針を表明
江戸開城により、明治天皇は初めて江戸に行幸し江戸を東京とする
新政府内では、三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通らの発言権が増大
廃藩置県を断行し、中央集権体制を確立
新政府は、神道を国教化(国家神道)、天皇の絶対化を推し進めた

征韓論を勅旨で収める
征韓論を巡って、政府部内が紛糾したが、勅旨をもって西郷隆盛の朝鮮派遣を中止させた
自由民権運動では、立憲政体の詔を発して政体改革を進める
天皇は、政府内部の政治的対立を調停する役割を果たす

近代国家の確立
天皇は即位以後、外国の要人と頻繁に会談
軍隊を「天皇の軍隊」と規定し、大元帥として軍隊の統率にあたる
内閣制度、市町村制、府県制、郡制の諸制度を創設した
官僚制支配体系の整備と並行して、莫大な皇室財産の設定を行った
大日本帝国憲法を公布し、日本史上初めて天皇の権限(天皇大権)を明記

列強への道
日清戦争と日露戦争では、天皇は大本営で直接戦争指導に当たった
外交上は、日英同盟を締結し、列強の一員たるべく、軍事的・経済的な国力の増強を図った
イギリスやアメリカなどの各国との不平等条約の改正を完了させ日本は列強の一員となる

天皇の自作和歌(著名な御作)
よきをとり あしきをすてて外国(とつくに)に おとらぬ国となすよしもがな
よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ
しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける
目に見えぬ神にむかひてはぢざるは人の心のまことなりけり

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