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平成の虚無僧一路の日記

ボロ と ナラダッタ 

2010年11月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



深夜12時を過ぎると、ビルの明かりも一斉に消え、異様な
空気に一転する。暗闇に虚無僧も異様だ。ホームレスが、
階段などに、寝場所を求めてうごめいている。

その数は、一頃より激減している。以前は、割合まともな
服装で、昼は働きに出、夜は露宿している連中が多かった。
そうした働く気のある人は、名古屋市が仮設住宅を建て、
収容して、再起の支援をしてきた結果、ホームレスが
少なくなったようだ。

今、見かけるのは、髪も髭もぼうぼう。ぼろぼろ、どろ
どろの毛布にくるまった乞食だ。だが、彼らは物乞いを
しない。どうやって食べているのか、トイレはどうして
いるのか 不思議だ。

虚無僧は、室町時代「暮露(ぼろ)」とか「ぼろぼろ」「ぼろ
んじ」などと呼ばれていた。ボロをまとっているからだ。
そして、薦(こも)を敷いて野宿するから「薦僧(こもそう)」
とも呼ばれた。そんな「ぼろ」の生態に私は異様な関心が
ある。いずれは、私の“ 行く末 ”じゃ。


手塚治虫の『ブッダ』第11巻、第9章に登場してくる「ナラ
ダッタ」という修行僧。衣服もまとわず、言葉も発せず、
目も見えず、病気になっても、釈迦の差し出す薬も受けず、
ただ「自然にまかせて、死ぬときがくれば 死ねばよろしい」
の生き様を貫いた。その姿に、仏陀(釈迦)は「私など到底
及ばぬ立派な人だ」と感動する。

私も、この「ナラダッタ」の話には、一番 感動した。
日本の朝廷が、仏教に帰依して開いた都は「奈良」だった。
原始人が、音楽に目覚めたのは、おそらく「おなら」だった。
空気を送って、物を振動させることで、音が出ることを
知ったのだ。(私の珍説)

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