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警察庁長官・厚生大臣長谷川平蔵 

2014年11月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



NHK『智恵泉』で『長谷川平蔵のひとを動かす力』を放送していました

長谷川平蔵は、相手(犯罪者)を人として認め、慈悲深く接する(拷問はしない)
長谷川平蔵は、一人一人と向き合いその人の気持ちを知る(間違って拘束した時には、自費で日当を支払う)
ゲストの古田元ヤクルト監督も、「怒る・褒める」のを選手に応じて変えて選手の能力を引き出しました
盗賊からも『捕まるなら平蔵』といわれていました




















長谷川平蔵(ネットより引用)

『鬼平犯科帳』は池波正太郎の時代小説
実在の人物「火付盗賊改方長官・長谷川平蔵」を主人公とする捕物帳です
「鬼平犯科帳」の題名が付されるようになったのは「唖の十蔵」からです

長谷川平蔵とは
四百石の旗本である長谷川家に生まれ、放埒の青春時代を過ごしました
生来の暴れ者で、放蕩ぶりも広く知れ渡たり、名前を聞けば、無頼の輩も首をすくめるほど腕も立ちました
父宣雄が急死後、家督を継ぎ、御徒頭、御先手組弓頭、火付盗賊改と順調に昇進しました
平蔵は、火付盗賊改の長官となり、以降亡くなるまで足かけ8年間その職に有りました

火付盗賊改の活躍
江戸時代放火や強盗などの凶悪犯罪が目立つようなりました
盗賊は武装集団であり、町奉行では手に負えない状況が増えてきました
番方(武官)である御先手組より、任ぜられたのが火付盗賊改が担当しました
火付盗賊改は町人に限らず、武士や僧侶であっても検挙できました

平蔵の火付盗賊改としての評判
悪党からは「鬼の平蔵・鬼平」と恐れられるほど、多くの犯罪者を検挙しました
犯罪者を捕らえる平蔵の仕事ぶりは、松平定信も認めるところでした

火付盗賊改を長年努めるのは、肉体的にも経済的大変です
町奉行と違い専用の役所はなく、自分の屋敷を役宅として使用しなければなりませんでした
与力・同心などの部下も五十人以上おり、他にも捜査に当たっての費用も必要です
四百石あまりの小身旗本である平蔵には、相当に苦しいことでした

平蔵日本初、授産更生施設を創設
犯罪者をいくら捕らえて罰を加えても、あとからあとから湧くように罪を犯す者が出て来るのである
表の世界からはみ出た者が、まっとうな暮らしに戻ることがいかに難しいことかを、平蔵は充分知っていました
平蔵は、軽犯罪者や無宿人に職業訓練を施し、更生させるための施設「人足足場」を創ることを訴えました
「人足寄場によって無宿人も犯罪も少なくなった、長谷川平蔵の功績である」と松平定信も認めています

人間をあきらめない
あの人が父でなかったら……、平蔵の父は辛抱強く、平蔵がまっとうな人間になるのを待ちました
その教えのお陰で、平蔵も「無宿人、軽犯罪者」がまっとうな人間になる迄付き添いました
平蔵の危篤の報を聞いて、将軍家斉は「瓊玉膏」という高価な薬を下賜したました

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