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行秋日記(8)... 

2014年10月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し






ある写真についてのレクチャーでの話.
その写真家は,家族の普段の姿を撮った10数枚のポートフォリオを見せながら,人の撮り方について話をしていた.
奥さんや,子供,キッチン,リビング,庭... 何気ないシーンをファットフォト風の感じで活写していた.
話の中で,人を撮らなくてもその人(たとえば奥さん)の軌跡,気配を写すことができるともお話しをしていた.
そうねぇ... と思ったが,待てよ...
「一連のポートフォリオの画像を見たという経験があるから,だれも写ってないキッチンの写真でも,(特定の,たとえば奥さんの)気配を感じることができるのではないのですか? たった一枚の写真を出され,その人の気配がわかるということが成立しますか?ちょっと無理では?説明があってはじめて認識できることでは? 説明しなければ成立しないというのが写真のウィークポイントでは?」 と思ったことを率直に伺ってみた.
一瞬,写真家はフリーズし,しばし沈黙.そして, 「一枚でも気配を撮れます」と言い切った.しかし,その理由は話さず,話は別の話題になってしまった...




      Leica M9+Nokton 50mm F1.5 Aspherical








コンポラ写真のような昨今の写真.普通の,ありのままの(?)日常を撮る写真が流行しているが,前後の流れもなく,たった一枚だけ見せられ,その作者が意図した特定の人の気配を感じることができるとは到底ボンクラの小生には理解できない.小生の能力ではそれは無理だなぁ〜と思った.
ただ,そのシーンをどう構成するかで多少はそれらしき気配を写すことができるかもしれないとは思う.食べかけ状態の食卓,脱ぎっぱなしの服,下着... やりかたはいろいろあるだろう.ただ,作者が意図する特定の一人を分からせるような気配を映し出すことはできないだろう.
分からせようとするには,説明が必要になってくる.
写真に説明はつけたくない.説明しなければ成立しない写真など,写真としての価値はないと思う.


写真は民家園にて.

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