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悠々閑々に暮らす身辺雑記

東京下町・深川散歩、〜永代寺〜深川不動堂 

2014年09月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

晴れていた空が俄かに怪しい空となってきたので、定年前に勤めていた目の先にある木場のビルへ寄らず、永代通りを来た道に戻り、深川不動堂の参道を入る。



永代寺
参道を進むと右側に永代寺がある。

高野山真言宗の寺院
1624年(寛永元年)、長盛訪印の開山により永代島に創建された。
江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。
跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになっており、深川一帯でも指折りの広大な寺院であった。
その後、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の
永代寺である。
当地の地名・門前仲町は、この旧永代寺の門前という事で名付けられた。
by Wikipedia







深川不動堂(成田山 東京別院 深川不動堂)
両サイドに色々なお店(有名な菓子屋や食事処)が並んでいます。小生がブラブラした時はまだ開店の時間ではなかったようだ。


真言宗智山派成田山新勝寺の東京別院。通称は深川不動尊、深川不動堂。
 江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まった。
これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。
江戸における成田不動の出開帳は安政3年(1856年)まで、江戸時代を通じて12回行われたが、そのうち1回を除いて深川永代寺が会場となった.
 永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。
しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。境内地は、深川公園の一部を永久かつ無償で借用することが認められたものである。明治14年(1881年)に本堂が完成。
その後本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたって焼失したが、本尊は焼失を免れた。永代寺は門前にあった塔頭・吉祥院が明治29年(1896年)に再興され、名跡を継いだ。
by Wikipedia


左側:本堂 右側(正面):旧本堂


深川不動堂の開運出世稲荷社
深川不動堂の境内に入るとすぐ右側にある。
成田山新勝寺境内に鎮座する出世稲荷を分霊し勧請奉祀している。
ご利益は開運出世です。開運成就して立身出世栄達を遂げます。


名物の巨大わらじは旧本堂の階段下にもあります。


次は蔵前神社に行くつもりが、目の前に錦糸町駅行きの都バスがとまった。
偶然にもバス停だったのです。すぐに乗ってしまいました。

2014.09.04

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