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人生日々挑戦
高橋大輔選手・大きな大きな「大河の流れ」
2014年08月31日
テーマ:人生
人生においては、それまでの人生のすべてをかけて挑戦する瞬間がある。
その瞬間を思い出すと、いつも胸が熱くなる。
2013年12月21日から23日までの3日間。フィギュアスケートの日本代表選考会が行われた。高橋大輔選手は、人生のすべてをかけて挑み、日本中のフィギュア好きの朗若男女が持てる熱情のすべてをかけて応援した。
文字通り、ドキドキハラハラの3日間。まさに、最高の人生ドラマが展開された。
翌12月24日のクリスマスイヴ。「よかったね、高橋大輔選手!!メリークリスマス!!」と題するブログ記事を書いて投稿した。苦難を乗り越えた高橋選手の頑張りがあまりにも嬉しく、祝福せずにはおけなかった。
私が高橋大輔選手について書いた、人生初のブログ記事である。
これをきっかけに、折に触れて高橋選手に関わることをブログ記事にしてきた。以来、早いもので、もう8か月という月日が流れた。
私が高橋選手に関してブログ記事を書いたり、時事川柳を詠むのは、彼を応援するためであるが、言わば私の独自の見解を文章にしていることになる。
それに対して、肯定的な評価や示唆に富むコメントを頂戴することほど、嬉しいことはない。
コメントの中身を熟読玩味し、自分の頭の中で考えをめぐらせ、その結果をまたブログ記事に書くこともある。
2014年6月20日、高橋大輔選手・「逸材」と題するブログ記事に対して、ありがたいことに、ある方がコメントを寄せて下さった。
この方は、高橋選手に関し、私がとても知ることができないことを教えて下さるとともに、私が知りたいであろう情報についても紹介して下さっている。
その一つが次に掲げるAll About(オールアバウト)のブログ記事だ。2014年4月30日付けの記事である。
人はなぜ高橋大輔に魅了されるのか http://allabout.co.jp/gm/gc/442330/
文章を書く専門家の記事だけに、示唆に富む。以下、この記事を便宜上オールアバウト記事と呼ばせていただく。
ただし、オールアバウト記事は私が勉強するうえでの教材として適宜触れさせていただくので、原文そのものは、上記のURLをご覧いただきたい。
オールアバウト記事曰く。
? なぜ高橋選手は見る人を惹きつけるのか
そのわけは彼の豊かな表現力にある。ジャンプなど、わかりやすい技術面ばかりがクローズアップされる時代に、彼の表現力は際だっている。
? 氷上のオペラ
フィギュアスケートはスポーツであり、ルールに従って判定される。しかし一つだけ他の競技と本質的に異なる特徴がある。それは「芸術性を競うスポーツ」という点だ。
フィギュアにおいては、単に回転の速さやジャンプの高さを競うだけでなく、演技によっていかに音楽を表現するかという「芸術性」も競われる。それが欧州で今もなお「氷上のオペラ」と呼ばれるゆえんだ。
芸術性という概念は絵画に置き換えるとわかりやすい。色の数の多さや難解なテクニックではなく、一本の筋が描く形(=フィギュア)に人は感銘を受ける。それが「芸術性」であり、数や量とは異なる次元の問題だ。
? 芸術性を十分反映できない採点システム
しかし残念なことに、今の採点方法ではその表現力が得点に十分反映される仕組みになっていない。
競技として勝敗を決める都合上、演技は点数評価しなければならない。
フィギュアの場合、スポーツ的技術を測る「技術点」と芸術性を測る「演技構成点」で得点化されるが、そのバランスが今、崩れかけている。ジャンプのように数値化しやすい面ばかりが偏重され、本来フィギュア最大の良さであるはずの芸術面が軽視されはじめているのだ。
? 高橋にしかできない芸術表現 それは「楽曲の世界観の視覚化」
そんな風潮と戦っているのが高橋大輔選手だ。彼が他の選手と本質的に異なるのはその点にある。
多くの選手が音楽をバックに要素を消化していくように見える中、高橋選手の場合は、演奏者が彼と呼吸を合わせながらまるで生で演奏していると錯覚させられるほど一体化している。
それは単にリズムの一致や音楽とのシンクロというレベルではない。彼に表現されることで、その楽曲が持つ「世界観」が人の目に見えるかたちでリンク上に姿を現すのだ。
つまり高橋選手の演技により「楽曲の世界観の視覚化」が起きているのだ。
これは音楽単独ではとうてい実現不可能な、非常に高度な芸術的行為である。
それは「跳んだ」「回った」「高得点が出た」という話とは全く次元が異なるもので、見た人にかつて味わったことのないほどの芸術的衝撃を与える。
そんな芸当が出来る選手はなかなか見あたらない。だから世界中のファンは高橋選手に熱狂する。
上手なスケーターはたくさんいる。美しいスケーターもたくさんいる。
しかし、見た人の価値観を変えるほど、その心に深い感動を刻みつけるスケーターはわずかしかいない。それが高橋大輔だ。
オールアバウト記事については、なるほどと思う。しかし、全部をそのとおりだとは思わない。
?の高橋大輔選手の表現力は際だっていること、?の「芸術性」を十分反映できない採点システムになっていること、の二点については、そのとおりだと思う。
しかし、?については、そのうち、フィギュアにおいては、単に回転の速さやジャンプの高さを競うだけでなく、の部分はそのとおりだが、演技によっていかに音楽を表現するかという「芸術性」も競われること、の部分については、ちょっと待ったである。
「芸術性」とは、美的表現であって、フィギュアの演技によって表現されるステップ及びスピンなどの美しさが第一義的なものであり、そのほかに音楽を表現することも含むと捉えるべきである。
つまり、フィギュアの演技によっていかに音楽を表現するかという点だけではない。
そして、? 高橋にしかできない芸術表現 それは「楽曲の世界観の視覚化」、については、見解を異にする。
このうち、高橋にしかできない芸術表現、という点は、そのとおりである。高橋大輔選手が表現する「芸術性」は、高橋選手にしか表現できない。
しかし、高橋にしかできない芸術表現を、それは「楽曲の世界観の視覚化」とする点は、そうではないと思う。
高橋大輔選手は、なにも「楽曲の世界観の視覚化」をするために芸術表現をしているのではない。そうではなく、高橋選手には、楽曲や楽曲の世界観とは別に、表現しようとする「芸術性」があるのだ。
高橋選手は、その表現しようとする「芸術性」を表現するために、それにふさわしい楽曲を選ぶのであって、「楽曲の世界観」を表現しようとしているのではない。
本末を転倒させてはならない。
だから、オールアバウト記事にある「高橋選手の演技により「楽曲の世界観の視覚化」が起きている」のではない。
オールアバウト記事にある「これは音楽単独ではとうてい実現不可能な、非常に高度な芸術的行為である」のはそのとおりである。付言するならば、高橋大輔選手が全体的に表現しようとしているのは、大きな大きな「大河の流れ」である。
オールアバウト記事にあるように、それは「跳んだ」「回った」「高得点が出た」という話とは全く次元が異なるもので、見た人にかつて味わったことのないほどの芸術的衝撃を与える。
オールアバウト記事にある「そんな芸当が出来る選手はなかなか見あたらない」は不正確で、全体的に表現しようとしている大きな大きな「大河の流れ」を表現できるのは、高橋大輔選手だけである。
だから、世界中のフィギュアスケートファンは、自然と、高橋大輔選手に熱狂する。
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