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平成の虚無僧一路の日記

先祖探しの旅?「乙川の上流に牧原の地名」 

2014年08月13日 外部ブログ記事
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「武田一族に牧原姓」の者がいたことは確かですが、残念なことに
当家の系図では、江戸時代以前は「平石」姓で「三河・牧の原」の
出なので「牧原」と名乗ったとあります。
となると、「武田一族の牧原」とは関係が無いことになります。ザンネン。
では、「三河・松平ノ郷・牧ノ原」とは、どこなのか、いろいろ調べましたが
江戸時代以前の地図に、現豊田市周辺に「牧ノ原」という地名は見つかりません。
 
地図を見て、豊田市の東、乙川の上流に 「くらがり渓谷」 という行楽地があり、
そこへ行く、ひとつ手前に「牧原」というバス停を見つけました。さっそく行って
みました。乙川の領域にわずかな田んぼがある山間部。10軒ほどの家が
ありますが、みな「山口」姓で、「牧原」の地名の由来は判らないとのこと。
 
私は、ここが「系図」にある「三河牧原」ではないかと 勝手に思うことに
しました。
遠い先祖が、ここに住みついたとして、その時の姓は 「平石」でした。
武田一族の「牧原」との関連を求めるなら、武田の一族であることを隠して、
一時期「平石」を名乗ったのではないか。そしてその後、紀州に移った時に
甲府の「武川・牧原」の出なので、「牧原姓」に復姓した。なんて、考え
られないでしょうか。
武田信玄が没したのは 元亀4年(1573年)。当家の最も古い記録は、
1609年に浜松の城主「松平忠頼」に仕えていたということです。この40年の間が不明で、どうつながるのか、つながらないのか。
何か手がかりを 知っている方が いましたら、教えてください。

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