メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

表札の文化 

2014年07月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 新しいアパートに引っ越して来てから4か月になりますが、
不思議なことがあります。
それは各戸のドア、入り口に表札を出していない居住者がとても多く
私の印象では70〜80パーセントが掲示していません。
 
表札だけでなく、集合型の郵便受け外側にも名前を表示していない家が多く、  こちらは90パーセント前後の家が表示していません。
最近は表札を出さない家が多くなったとは聞きますが
それにしても私のアパートは極端な気がします。
 
 確か、小さな金属プレートの表札と郵便受けの名札はセットで
1万円以上しましたから、注文をためらって、そのうちに設置しようと
考えている人が多いのかも知れません。
あるいは、個人情報を「おおっぴら」にしたくないとか、
変な人が訪ねて来ると名前だけでも知られたくないという事情が
あるのでしょうか。
 
玄関にも郵便受けにも各戸の部屋番号が表示されていますから
尋ねて来る人も郵便・宅配の人も全く手掛かりがない訳ではありませんが
番号だけ分かっても名前が分からなければ戸惑い、確信が持てず、
困ってしまうことはあるでしょう。
 
 子供の頃から各家の玄関や門には必ず表札があって、
住所と家族全員の名前が記された表札も珍しくはありませんでした。
そして、表札は「ここは○○の家です」と対外的に所在を明らかにし、
社会的、公共的な責任の一端を担う一員であることを表明する
象徴でもあるような気がします。
 
 また、私は信じませんが、風水と呼ぶ占い(?)では
表札を出さないのは良くないと言われたり、
表札のない家は、その主が不在とみられ、
全般的に家運が落ちるという人もいるようです。
 
こうした表札ですが、意外にも世界的にはとても稀な習慣です。
日本以外で各戸が表札を掲げるのは韓国ぐらいで、フランスの一部でも
わずかに表札を掲げる地方があると聞きます。
 
 では、表札のない国では訪問客や郵便配達などはどうするかと言いうと
家屋番号が各家や郵便受けに表示されていて、それを目当てにします。
私たちが住んでいたオーストラリアでは住所は最後が通りの名前と
家屋番号になっていて(英語では逆の順)、通りの片側が奇数、
反対側が偶数となっています。
もちろん、どんな細い道路でも名前が付いていて、
立て看板で表示されています。
 
 日本では○○町□□丁目といっても道路が数本ある様な面ですから
その中のどの道路なのか特定できず、表札を頼りにずいぶん探さなくては
なりませんが、欧米で目的の家を見つけるのは通りの名前と家屋番号が手掛かりになってとても簡単です。
それでも、各戸に表札はありませんから
「その人が住んでいるはず」と意を決してドアをノックする訳です。
 
 もう一つ重要なことは、郵便物は宛名、受取人の名前ではなく、
住所が優先されて配達されることです。
私など、オーストラリアで転居した際、取引の銀行に住所変更を
通知したのですが、相手の事務手続きの手落ちで私への大切な連絡が
しばらくの間、旧住所に届けられていたことがあって困惑したものです。
 
 この表札の文化の違いはなぜ生じたのかを考えてみますと、
またまた民族の性向、気質の違いによって、説明が付きます。
農耕を生活手段とし、定住することが普通の農耕民族日本人と
狩猟で生活し、各地を渡り歩いてきた遊牧・騎馬民族としての西欧人の
古代からのライフスタイルの違いが色濃く映し出されているのです。
 
 地域に定住し、コミュニティの一員として生活する日本人は
他者との折り合いをつけ、集合体の一員として認知される必要が
ありますから、
おのずから表札も有効な手段と考えられるようになったのでしょう。
ただ、日本で表札を掲げるようになったのは明治時代と言います。
長い歴史の習慣が刷り込まれた結果だろうと思います。
 
 一方の西欧人は同じ場所、家に長く定住するという観念が
もともと希薄で、どこに誰が住もうと関心がないので
表札の観念も無く、必要性も感じないのです。
実際、私たちがオーストラリアに住んでいる時、オーストラリア人の
友人たちは2か月、3か月もの長い旅によく出かけたし、
私たちから見れば「必要もないのに?」と感ずる転居・引っ越しを
気軽に繰り返していました。
 
私たちがオーストラリアで住んだアパートは12戸ありましたが、
その7年余りの間に私たち以外の入居者は全員引っ越して行き、
新しい人たちが入れ替わり入居して
最後には私たちが一番古い居住者になってしまったことからも、
日本人と西欧人の「住む場所」の感覚の差が理解できますね。
 
 私たちの新しい日本のアパートの表札の話題が
民族の文化の差異にまで話題が拡散してしまいましたね。
私たちの新しいアパートの住人の多くは
感覚が西欧化しているのかも知れません。
でも、私は訪ねて来てくれる人は迷わず我が家のベルを押し、
郵便物を間違いなく受け取るためにも表札・名札は「悪くない」と
思うのです。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ