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日本国を存続させた勝海舟の偉業! 

2014年07月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



IF勝海舟の存在が無ければ、日本は?

北海道はロシアに、沖縄・尖閣諸島はイギリスに、本州は東西、東ロシア国、西イギリス国だったかも?
勝海舟が、日本の明治維新の最大の功労者です
長崎海軍伝習所で、薩摩藩主・島津斉彬の知遇も得ました
咸臨丸で渡米し、帰国後に軍艦奉行並となり神戸海軍操練所を開設しました
戊辰戦争時には、幕府軍の軍事総裁となり、早期停戦と江戸城無血開城を成し遂げました


















勝海舟(引用)

薩長連合西郷隆盛と交渉する際の、勝が留意した命題
徳川家を守る⇒(薩長連合の要求は、徳川慶喜の切腹と幕臣の処分)
江戸を戦火から守る⇒(日本の東西戦争を防ぐ)
内戦での、外国の介入を防ぐ⇒(中国のアヘン戦争、インドの植民地化に日本をしない)

幕府軍代表者として交渉する時の、勝を取り巻く環境
大部分の徳川の家臣は、戦う意志が強固⇒海軍力優れている(幕府側軍艦12隻、薩長連合2隻)
薩長連合、3月15日江戸城総攻撃決めており、連合軍5万の大軍で江戸の付近まで攻め登っている
薩長側支援のイギリ国力強い、幕府軍支援のフランスは内戦で混乱し国力弱体

勝海舟の性格
メタ認知能力が優れている(自分の認知行動を正しく知る上で、必要な心理的能力)
ギャンブラー性格(度胸が据わっており、無理な事でも勝負を賭ける)
全てを潔しとする禅が宗教(山岡鉄舟、勝海舟、西郷隆盛も同じ)

勝海舟の交渉の準備
英国公使のパークスに、『江戸の焦土化』を武器に、新政府側に圧力をかけさせる
交渉が完全に決裂したときは、新政府軍を誘い込んで、江戸の町に火を放つ
新政府軍に対し、東海道中での艦砲射撃の準備完了と慶喜の身柄、イギリス艦隊によって亡命させる

幕府代表勝海舟と薩長連合代表西郷隆盛との交渉経過
駿府で、幕府代理山岡鉄舟、西郷隆盛と交渉失敗⇒幕府江戸城無血開城でも、慶喜と幕臣は救えな
勝海舟、薩長連合の支援国イギリスに圧力を掛ける⇒江戸を焦土化する
勝海舟、総攻撃前日に、無血開城を条件に、3月14日和戦両様で西郷隆盛と交渉する
西郷隆盛談『いろいろ難しいことも有りますが、私に全てお任せ下さい』との結論で、江戸城無血開城

幕府側の抵抗戦いに対し、勝海舟必要悪として黙認(新政府の勝利を世間に認めさせる為)
幕府側、上野彰義隊の戦い黙殺
幕府側、会津藩の戦い、黙殺
幕府側、五稜郭戦争、黙殺

勝海舟の明治期
旧幕臣の代表格として外務大丞、兵部大丞、参議兼海軍卿、元老院議官、枢密顧問官を歴任
慶喜を、明治政府に赦免させることに尽力した
旧幕臣の資金援助、生活保護など、幕府崩壊による混乱や反乱を、最小限に抑える努力をした
西南の役で、逆賊の臣と成った、西郷隆盛の名誉回復にも奔走し、明治天皇の許可を得て上野公園へ銅像建立

勝海舟の晩年、
『吹塵録』『海軍歴史』『陸軍歴史』『開国起源』『氷川清話』などを執筆
子供達の不幸、孫の非行にも見舞われ、孤独な生活を過ごす

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