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吉野は、歴史の宝庫ですね(2)!!! 

2014年07月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



吉野金峯神社から、吉野駅2時間位散策しました

吉野山には、金峯山寺、吉水神社、如意輪寺、吉野水分神社、金峯神社等多くの社寺が有ります
『金峯山寺』『吉野水分神社』が印象深いお寺、神社でしたので記載します










(引用)

(引用)









(引用)

『金峯山寺院』

概要
宗派:金峯山修験本宗(修験道)
本尊:蔵王権現3躯
開基:役小角

創世記
日本古来の山岳信仰が、神道、仏教、道教などと習合し発達したのが修験道です
『役小角』は、金剛山・葛城山で修行し、超人的能力を持った人物です
信仰対象の蔵王権現は、仏教の仏でもなく神道の神でもない、独特の尊格です
密教彫像などの影響を受けて、日本独自のものです

平安時代
中興の祖は、京都の醍醐寺を開いた聖宝です
山岳信仰に密教、末法思想、浄土信仰などが融合して信仰を集め、皇族、貴族が参詣しました

中世〜近世
修験道は、「本山派」と「当山派」の2つに分かれました
 *本山派は天台宗系で、園城寺の円珍を開祖とします
 *当山派は真言宗系で、総本山は醍醐寺三宝院です
金峯山寺は、山上・山下に多くの子院をもち、興福寺と延暦寺にも劣らない僧兵がいました
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に移り、南朝を興したのにも、軍事的背景が有ったからです

近代
明治維新で、修験道廃止令が発布され、金峯山寺自体も廃寺に追い込まれました
「天台宗修験派」として再興が図られ、金峯山寺は寺院として復興存続を果たしました
終戦後、天台宗から分派独立して、金峯山修験本宗と改称しました

『吉野水分神社』

概略
主祭神:天之水分大神
子守明神:子授けの神

歴史
平安時代中期より「子守明神」と呼ばれました
豊臣秀吉も、この地を訪れ秀頼を授かりました
現在の社殿は、秀頼によって創建されたものです

木造玉依姫命坐像(国宝)
玉眼を採用した本格的な彫刻です

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