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平成の虚無僧一路の日記

「一休さんが刀を差して」、なんのため? 

2014年07月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



一休さん。堺の町を刀を差して闊歩かっぽ。
道行く人に、柄を叩いては威嚇して歩いた。
「いかに乱世とはいえ、坊さんが刀とはなんぞ!?」
とがめる群集の前で、やおら刀を抜いてみせれば、
なんと木刀。

「今の禅宗の僧侶は、この木刀のようなものだ。
鞘(さや)に納まっていれば、真剣のようだが、
中身は木刀。これでは人を切ることも活かすことも
できんではないか、あはははははッ」と呵呵大笑。

一休さんの話の大半は江戸時代の創作だが、この
「刀」の話だけは『一休和尚年譜』に書かれている。
そして「一休の肖像画」には側らに、長い朱鞘の
太刀が描かれている。まったく“タチ”の悪い
坊さんじゃ。


「一休語り」を行っている私。その小道具として、
「朱鞘の刀」を特注しました。中は「木刀」にしてと
頼んだら、大変苦労されたようです。なにせ「木刀」は
太いですから、鞘もずんぐりもっこり。形にならない。
値段も10万円。痛い出費です。

「木刀」を「ぼくとう」と思い込んだのが間違いだった。
「ぼくとう」なら十分人を殺せる。人をも殺せないの
だから、俗に言う「たけみつ」でよかった。「たけみつ」
といいながら、実は「竹」ではない。「薄く刀のように
削った木」。これなら、市販ので十分でした。

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