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時宗の「戦争指導力」と「胆力」現代リーダーは見習え 

2014年06月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



元寇、戦わず属国になれば日本はどうなっていたか?

蒙古襲来に、裏に綿密な分析が有り、強硬な姿勢で、国運かけた戦いへ突入
幕府の執権、北条時宗のリーダーとしての胆力の強さが日本を国難から救いました


















元寇(引用)

元の皇帝フビライ汗は、日本を属国にする為、朝貢を求める国使を派遣
元が日本に襲来するには、十数万以上の軍勢が必要だか難しく
宋から逃げてきた僧たちの情報をもとに、こうした情勢判断をしていました
時宗は、常に強硬な姿勢をとり続けました
「文永の役」と「弘安の役」と日本軍は襲来した元軍を撃退しました
日本にとり、日露戦争以上に意味を持つ勝利でありました

上皇の力も借り?オールジャパン?戦いを実現
時宗が日本全国の武士団を統一したことが、勝利の最大の要因でした
鎌倉幕府が命令を下せるのは、幕府の御家人だけでした
西日本の武士団には、朝廷の命令でしか、動員できませんでした

元軍の襲来に、時宗は亀山上皇の力を借りる
上皇から時宗に「全国の武士団への指揮命令権を与える」という宣旨が下りました
時宗は上皇の宣旨で、全国の武士団を統一しました

「文永の役」後、九州北部の警備を強化しました
博多湾岸に今でも残る石塁を構築して防衛強化にも努めました
元の国使を二度までも処刑しております
元の属国になっていれば、日本には元の役人や軍隊が進駐してきました
属国になれば、日本の伝統も文化も完全に破壊されます

リーダーは見習え
時宗の世界観と戦略的思考による決断で、日本は、元に征服されるのを免れました
時宗は、属国になることを拒否して、世界最強といわれた元軍を撃退しました
時宗は「弘安の役」からわずか3年後、34歳の若さでこの世を去りました

軍事的資質は不可欠、危機のリーダー像
日本では、大東亜戦争での敗戦による後遺症から「軍事=悪」という空気が続いています
「軍事的な資質」がなければ、リーダーとして諸外国と対等に渡り合うことはできません
時宗の生き方は、国家が危機に直面したときのリーダーのあるべき姿を教えてくれています

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