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平成の虚無僧一路の日記

大鹿村の重要文化財「松下家住宅」 

2014年06月03日 外部ブログ記事
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行き当たりばったりの、無計画な旅をする虚無僧でござる。
大鹿村で「松下家住宅」という標識を見て立ち寄ってみた。

男の人が樹木の手入れをしていた。聞くと、「今は誰も住んで
おらず、管理を委託されている」とのこと。中を案内して
いただいた。

土蔵は「明和9年(1779)」(江戸で大火があった年)。
母(主)屋は「文政3年(1820)」の建築。と云うから
200年以上 経っている。

さて、家のことより「松下家」について、興味が沸いた。
長押(なげし)に薙刀と槍、そして土間に、侍用の馬具の鐙
(あぶみ=足をのせる台)があった。

「松下」といえば、秀吉が日吉丸だった頃、最初に仕えたのが
「松下嘉平治・之網」。「木下藤吉郎」の名は、この「松下
嘉平治」からつけてもらったという。「松下嘉平治」は、代々、
駿府(静岡)の今川氏に仕え、浜松城 (曳馬城)主の旗下として、
頭陀寺城(ずだじじょう)に居住していた。

永禄3年(1560)の「桶狭間の合戦」では、今川義元が討たれて
総崩れとなり、「松下嘉平治」は、「浜松から宮口方面に逃れ
姿を暮らました」と伝えられる。宮口は浜松の北、そこから
秋葉街道を北へ落ち延びれば、大鹿村がある。

年齢的にも、「松下嘉平治」は 天文6年(1537年)の生まれ。
桶狭間の時は23歳。そして、大鹿の初代「松平?(下)伊賀」が
没したのが文禄2年(1593)というから、年代的には符号する。

なにか、小説になりそう。

ただし、松下嘉平治の子「重綱」は、久野(袋井市)、烏山(栃木県)、
二本松(福島県)の城主になり、その子 長綱は、福島県の三春城
3万石の城主になっている。大鹿村に隠棲したのは一族か。

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