メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

ついて行けない 

2014年05月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

平成に入って気が付くと早26年目だ。昭和で約半世紀を過ごしたことを思えば、世の中がすっかり変わっていることに今更気がつくのは遅いくらいだろう。山歩きをしている時、自分では懸命に歩いているつもりでも、気が付くと若い人がずっと先に行って見えなくなっているようなものだ。毎日身体を動かし、新聞テレビからインターネットにまで接続して、何とか世の移り変わりについて行く努力をしてるつもりではある。しかし一定の年代ごとに、人間の頭の中の歯車が根本的に違っていれば、車に例えれば20年前のモデルがいくら努力しても、あらゆる面で新車に及ばないように、脳みその回転速度か方向性かは分からないが、努力しても虚しいだけのようだ。なまじ現役世代のことは考えずに、老人同士で懐旧談にふけるのがベストかもしれぬ。本日はそんな思いで昔の事を書いてみたい。昔はものを思わざりきで、正直なところ政治に関しては余り関心が無かった。我々とすれば、目の前の仕事をするのが務めであり、その仕事は政治とは無縁なものと思っていたせいである。実際は昔であっても政治は社会と密接に関係していたのだろうが、20代の頃は全く無関心であった。大学卒業して入社した会社が社員数が30人ちょっとの小企業だったこともあり、労働組合とは一切縁が無かった。従って、生まれてこの方残業手当なるものを貰った経験が無い。尤もこちらも就業時間についての意識が希薄で、7時まで居残れば70円以内で何でも出前を取って良い事になっていたので、頼まれもしないのに大半の社員が夕方になるとぶらぶらして社内に居残っていたものだ。それだけ田舎から出てきた社員が多かったのだろう。会社側はことあるたびに「社員は運命協同体」を強調していたし、これは大企業でも似たようなもので日本式経営とか何とか言われていたような気がする。当時は何処の会社でも社員旅行とか社員運動会なんかが盛んで、先輩が後輩に飲ませたり食わせたりするのも当たり前だったろう。交際費が云々てなこともあるが、会社の経費で処理される飲食費の大半は身内同士のものであったのも、これまた共通ではなかろうか。事の善悪は別として、働く者としての立場からすれば会社の良し悪しは、1にも2にもお給金が高いことで、余程反社会的なことや極端な汚れ仕事でない限り、仕事がきついかどうかは問題にしなかった。職業に関して個人的見解は多様かもしれぬが、最近は労働問題と称して政治がそこにくちばしを突っ込んできている。ふと気が付くと、現代の会社組織は嘗てのイメージとはかなりかけ離れているようだ。何人かの人間が目的を共有して立場を超えて協力し合うのではなく、個人個人が会社から目標を与えられて、その達成のために努力する。これが一般的になっているようだ。江戸時代からあった人夫の口入業は分かるが、普通の会社組織が人材派遣業を重宝することが可能てことがどうしても理解できない。人材派遣業「パソナ」と言う企業を巡ってきな臭い噂が流れているようだが、どんな会社か想像が及ばない。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ