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平成の虚無僧一路の日記

家康の義妹「多劫姫」つづき 

2014年04月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



このところ、アクセス件数が 減少気味です。私の先祖のことですので、
一般には、関心の無いことでしょうね。それでも、「宴の桜」さんから
コメントをいただきました。こんな話でも興味をもって読んで いただいて
いることに感謝です。

コメントを転載させていただきます。

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多劫姫様という名は初めて聞きました。お名の字が面白いと思いました。

嫁いでは別れさせられ、子供を生んでも引き離され、育てられず、
もうどうでもいい、何もかも面倒、多くが億劫な姫、多劫姫様、
皮肉めいているような…

でもこの姫は、たいそう美しい魅力ある人だったのでしょうね。
3回目の結婚は31才。31才で結婚して6人も子供が出来るとは!
最後の出産は40才越えていたのではないでしょうか?当時なら
お婆さんの年では…?すごい。すごすぎる。きっとお化け並みの
若さと美しさを持った女性だったのでしょうね。内面も素晴らしい。

そこまで夫の心をつかむ多劫姫様は、普段どんなものを召し上がって
いたのでしょうか。知りたいです

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いやはや、さすが“女性の目でみると違う気づき”をいただきました。

そこで【劫】の字を調べてみました。

「劫」は仏教で最も長い時間。四十里四方の城に、小さな芥子粒を
満たして、百年に一度、一粒ずつ取り去り、その芥子粒がすべて
無くなってもなお至らないほどの長い時間が「一劫」。
その「一劫」の「億倍」。もう気の遠くなるような非常に長い時間です。

地球の誕生が46億年前、生命の誕生が40億年前、そして「新人類」の
誕生はわずか2万年前、「有史以来」は5,000年そこそこのことです。

そんな長い時間を考えるだけでも、面倒なところから「おっくう(億劫)」だ
そうです。

さて、保科正直に再々嫁してからも六人の子を産んでいます。
保科正貞、北条氏重、大涼院(黒田長政継室)、清元院(安部信盛室)、
貞松院(小出吉英室)。

そして末娘の「高運院」は、四国松山の加藤嘉明の息子で、保科正之の
前の会津藩主「加藤明成」に嫁いでいます。保科正之の祖母は(後添え
ですので血はつながりませんが)「多劫姫」。そして「加藤明成」の
義母も「多劫姫」ということになります。戦国時代、各大名は、夫人の
つながりで複雑にからみあっているんですな。


保科正直(先妻の子)−−正光=(養子)=会津藩祖「保科正之」(実は秀忠の子)
 |
 |
 |−−−−−−−−−−高運院 
 |           |
多劫姫          加藤明成(保科正之の前の会津藩主。改易されて保科が入封)

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