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雑感日記

明石公園と私 

2014年03月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★2012年7月12日に明石公園のことを書いている。
 
私の本籍は『明石市上の丸二丁目720番地』である。
生まれた、場所も同じである。  明石公園の東の外堀、『薬研堀』に面していた。
 昨日は、兵庫県の夏の予選、母校明石と宝塚の試合があったので明石公園を訪ねた。2−1で明石は勝って、気分もよかったので、
2時間近く、明石公園を散策したのである。 いっぱい写真を撮ってきて、Facebook にアップした。
 
と書いている。
戦後、引き揚げてきて学生時代、結婚するまでそこで暮らした。
今『明石市上の丸2丁目720番地』という番地は現存しない。
今はそこに30軒以上の家が立ち並んでいるし、当時外堀であった薬研掘もその殆どが埋め立てられて球技場になってしまった。
 

 
庭の前に薬研掘が面していた。
小学校の子どもの頃から、夏、冬の休みには明石に戻ってきていたので、そのころから明石公園はホントに身近な存在だったのである。
 

 
 
★2年前に明石公園を散策した時も、『ひょとしたらこれが最後の明石公園になるのかな』とそんなことを想いながら散策したものである。
何か、よほどのことがナイと明石公園にわざわざ来たりすることはないのである。
前回は、母校明石の野球部が夏の大会予選でたまたま三木高校と当たったので、その観戦ついでに散策してみたのである。
今回は孫の運転免許の実技試験の時間待ちなのである。
 
   
 
 明石球場、戦前からすでにあった旧い野球場で、巨人軍がずっと春のキャンプを明石球場でやっていた。
川上哲治、千葉茂、別所などが未だ現役で、廣岡も藤田も長嶋も、そして王貞治も新人でデビューしたのは、この明石球場なのである。
明石高校時代の夏の前の練習は、ずっと明石球場でやっていた。
未だ名門明石と言われたころで甲子園の春にも、夏は2年生のころに出場したりして、当時としては強かったし、想い出いっぱいの明石球場なのである。
 
当時は広すぎて甲子園や明石球場はラッキーゾーンが作られていた。
そのラッキーゾーンにも、練習中でも放り込む人は殆どいなかったから、昔の野球のレベルは強いと言っても知れている。
巨人軍のキャンプでも、なかなか旧フェンス越えは見られなかったのである。
 
   
   
 
公園の真ん中にあるのが『剛の池』である。
今は、魚釣りなど禁止で釣り人などはいないが、昔はそんなに『やかましくもなかった』ので、薬研堀などはいつも誰かが釣り糸を垂れていた。
この『剛の池』を昭和15年ぐらいに魚を食料にするとか『かいぼり』したことがある。黒い鯉などは食料にされたのだろうが、当時は錦鯉もいて、それを伯父が貰ってきて庭の池にいっぱいいた。
それ以来、この池の水は抜かれていないから、もう70年以上になるはずである。
 
    
 
パンの切れ端など与える人がいて、直ぐに何匹もの大きな鯉が現れた。1メートル近くもあるような大きいのばかりだった。
鯉は100年も生きると言うから、70歳ぐらいの鯉なのだろう。
 
上の写真の鳥が群れ飛んでいるのも、パンくずやおかきなどを与えたら、水鳥もトンビもみんな集まってきていた。
 
 
★戦前からの旧い公園で、戦前も木々が鬱蒼と茂っていて、特に背の高い松が多かったのだが、
この明石公園になぜか明石大空襲の時、爆弾と焼夷弾が集中的に落とされて多くの人命がなくなったり、木も殆ど燃えてしまっていたのである。
公園の木は戦後私が明石に戻ってきたときは、焼失したその年だったので殆ど枯れ木に近い状況だったのに、松はダメになったのが殆どだったが、広葉樹は翌年には芽を吹き出して、今のような広葉樹主体の林になっていったのである。
 
    
 
 県内最大のラクウショウや
 
    
 
  こんな大木もある。
 
    
 
   桜もいっぱいだが、巨木が多い。 みんな歴史を背負っている。
 
    
 
    最近は手入れもよく行き届いて、綺麗な林になっている。
 
     
     
     この坂道は家から直ぐのところにあって、よく散歩に来た裏路である。昔は誰も通らなかったような道なのだが、このあたりも手入れがされている。
   子供のころは『明石公園に行くとキツネやタヌキに化かされる』などとよく脅かされたし、そんな風情も 残っていたのだが、今は綺麗になってしまった。
 
     
    
 明石城は昔から天守閣はないが上からはこのような眺めである、
昭和25年(1950年) 昭和天皇の行幸時、天皇陛下がお立ちになった場所である。
下の芝生広場に市民は集まった。高校2年生の時だった。向こうに見える山は明石海峡を隔てた淡路島である。
 
 
★2年前に来たころは未だ、exciteのブログもやっていて
 上の写真もその時のものである。
 
    
 
  今は、こんなに綺麗になったが、昔はただの土のグランド、ずっと奥にある第2球場である。阪神の小山がいた高砂高校と東播予選をここで戦った。当然、明石が勝った。小山正明、1年下である。高校の時はそんなに有名でもなかった。一変したのは阪神に練習生で入団してからである。兵庫県明石市出身。高砂高校3年秋の1952年に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受け、契約金無しの月給5000円で打撃投手も兼ねたテスト生として入団とWikipedia に記述されている。 なぜ高砂高校に行ったのか?妹さんは、明石高校なのである。
 
 その前回のブログは、こんな記述で終わっている。
いろいろ書いたが、『明石公園と私』 もう一度書く機会など本当にあるのだろうか?
 
 
今回はこんな動画を撮ってきた。
 
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