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たかが一人、されど一人
読後感「本能寺の変 431年目の真実」明智 憲三郎著
2014年03月14日
テーマ:テーマ無し
高校時代の同期生から薦められて読んだが確かにも面白かった。著者は慶応大学工学部大学院を経てから三菱電機に進んだシステムエンジニア。著者名(本名)が示す通り明智光秀の末裔と信じておられるようだ。本業のかたわら本能寺の変の研究・調査を続け、「歴史捜査」と名付けた工学的手法によって、その全貌を科学的・論理的に解明したと仰っている。工学的手法とは如何なるものか理解の及ぶところではないが、戦国時代の歴史書をかなり丹念に読み込まれたのは間違いなさそうだ。文章も科学論文臭くなく、易しく分かりやすく書かれているので読みやすい。戦国時代末期について大方の理解は次のようなものだろう。約100年近い戦国時代を通じ、やっと織田勢力が力をつけ政権が半ば確立しつつあった時期に、トップの信長が京都本能寺で部下の明智光秀の叛乱で殺害されてしまう。そしてこの光秀も僅か10日ほどであっさり殺されてしまう。そして天下は秀吉に引き継がれ、これも秀吉一代で終焉して、徳川時代へと引き継がれることになる。戦国時代末期を飾る武将は織田、豊臣、徳川の3武将に絞られ、明智は3日天下で豊臣政権誕生の刺身のつま程度の扱いになっている。従って本能寺の変も400年以上経過した現在では、諸説あるが何れも明智光秀なる織田家の家臣と雇い主の織田信長との個人的な諍いに矮小化されている。織田信長の性格からして人生50年で部下に討ち果たされるとは、ドラマティックでもあることから多くの話が生まれ、小説や芝居にはなっているが、その変事が起った本当の背景を検証したものは皆無に近い。当然芝居や小説が真実と誰も思うようになる。しかし当時の情報環境を考えるに、歴史の検証に耐える文書は武家に残された日記や手紙が中心になるが、これも後の権力者が自分の都合で事実を上手く誤魔化すために書かせている可能性は否定できない。確かに現存する歴史文書も殆どは、光秀の野望説とか信長への怨恨説を裏付けるものとされてきたが、筆者はそれに大きな疑問を持って膨大な資料に取り組むことになる。権力者が当時の文書を全てチェックできるわけはないので、現存する文書を丹念に調べると、この事変も巷間流布されているとは全く違った様相が浮かび上がって見えてくる。感心したのは著者が外国の文献に注目した点である。世界的に見れば当時は大航海とキリスト教の布教が大々的に行われていたので、日本にも沢山の宣教師が来日して、彼等の報告書がバチカンなどに沢山残されている。有名な高山右近や細川忠興のみならず織田信長自身がフロイスを初めとする宣教師を積極的に保護している。しかも、黒人従者を一人譲り受けて弥助と名付けて小姓に置いていたらしい。彼も本能寺にいたが光秀の命で命を助けられてヨーロッパに戻り報告した内容など実に興味深い。内容の詳細は控えたいが、光秀の生年は不詳とされているが、一説では変事の際既に60歳を超えていたとも言われている。そんな爺様が今更天下取りの野望を持つだろうか?織田信長とは単なる主従関係で捉えられているが、明智光秀は初め城持ち大名でなかったのは事実らしいが、信長のもとで一国一城の主となり、戦国諸大名の中でも傑出した武将であったことも間違いなさそうである。戦国の武将たちは現代の政治家とは異なり、皆相当な緊張感の中で日々を過ごしているので、こんな事変を一武将単独の思い付きで起こすなんてことはあり得ない。当日堺に居て命からがら三河に逃げ帰ったとされている徳川家康の行動も丹念に資料に当たると、どうも嘘くさい。後年家康が取り立てた春日局の血筋が明智と繋がるのは何故か?考えさせられることが多かったが最後に。戦国時代から現代にいたるも我が国の権力者には「唐入り」即ち大陸への野望が絶えないようだ。織田から豊臣へと引き継がれたこの野望をきっぱり捨てたのが家康で、250年に及ぶ太平の世を作ることが出来た。光秀もこの野望を危険視していたのは間違いなさそうである。>
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