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平成の虚無僧一路の日記

明治の世に尺八とバイオリンのコラボ 

2014年02月03日 外部ブログ記事
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日経新聞 2/3 文化欄「日本美術に聴く」は
またまたビックリ。「彭城貞徳(さかきていとく)」という
明治の洋画家が描いた『和洋合奏之図』。

1906年(明治39)年頃の絵だそうだ。バイオリンと尺八で
合奏練習をしている光景が描かれている。長崎県美術館所蔵で、
ネットで検索すると、平成18年に長崎県美術館で「揺らぐ近代、
洋画と日本画のはざま」というタイトルで企画展を開いており、
その際、パンフレットの表紙に選ばれている。

そこでの取上げ方は「珍妙、困惑」。そうかもしれない。
当時の素人尺八家のレベルではバイオリンとの合奏は無理
だったと思う。尺八の音程が西洋の平均律12音と異なる
からでもある。

さて、日経新聞「古田亮」氏の解説。
「彭城貞徳」は当時の尺八界の第一人者「吉田一調」に
弟子入りし、後に「一調」の名を継ぐほどの腕前だった。
そしてフランス語も堪能で海外生活も体験していたから、
バイオリンにも造詣が深かった。この絵は、空想ではなく
「彭城貞徳」自身の稽古風景かもしれない、と。


ネットでみると、「彭城貞徳」は、明治12年、吉田一調より
尺八の奥免許を取得し、「逸調」、後「一調」と号す。長崎の
虚無僧寺「松寿軒」のスケッチを残している。

そういえば、「辻 潤(つじ じゅん、1884年 - 1944年?)」も
尺八とバイオリンの看板を掲げていた。明治って、思っている
以上に「和洋折衷」だったのかも。

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