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尺八と横笛吹きの独り言

青森から横浜まで心は飛んだだ。 

2013年12月08日 外部ブログ記事
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●金曜の民謡練習会もあと2回で今年は終了だ。
来年1月26日(日)が市民民謡発表会。あっという間に発表会がきますね。
写真は「九十九里浜大漁木遣り唄」の全員合唱練習。
●さて金曜日練習会の課題曲・・・・

気仙坂・鱈釣り唄(女性)・日光山唄・箱根馬子唄・相川音頭・東祖谷の粉挽唄・馬見原追分・村山馬喰節・チャッキリ節・謙良節・伊勢音頭・鱈釣り唄(男性)・両津甚句・九十九里浜大漁木遣り唄
・気仙坂・・・・久しぶりでみなさん前奏が出ない。三味線も迷う。何が出るかわからないので頭の回線がつながらない。ようやっとつながりました。
・チャッキリ節・・・・これも久しぶり。また譜面を準備してさらっておかないといけない。
・馬見原追分・・・・これも久しぶり。おさらい会が終わると、曲選択期間で・・・・みなさん持ち歌をリクエストされるが演奏が追いつきません。
・村山馬喰節・・・・歌手が先頃の個人戦コンクールで優勝されました。この会にとってもうれしいニュース。都知事杯、連盟会長杯をいただいたそうだ。さすが良い声でうまいねえ。
●日光山唄で新しい発見がありました。(そうかそうだったのねえ)
「日光山唄」      金子嗣憧-しどう-・作詞作曲

1. ハア 男体-なんたい-お山をよ 紅葉-もみじ-が飾りゃ馬子-まご-も小いきなよ 
   ハア紅緒笠-べにおがさ-よ
この1番の歌詞で「♪・・・・馬子-まご-も・・・・」の「馬子」の発音が問題。
馬子(mago)これに対して・・・・孫(mago)同じ響きだが、馬子はmaにアクセントがあり、孫はgoにアクセントがくる。
 私は「馬子」を「孫」と思っていました。日光の山を馬子がこいきな紅色のヒモの笠をかぶっていた。わけだ。孫がかぶっていたのではないのだ。
当然アクセントが違ってくるので「ma」の「m」は半音高くなるかな。吹き方も変わるわけだ。
・・・・そうかそうだったのねえ・・・・
●次のマイ唄は「十三の砂山」(とさのすなやま)にしようかなっと!現在は「八戸小唄」が終わり「東祖谷の粉挽唄」ですが、来年は「十三の砂山」にする予定だ。2尺2寸からまずはじめよう。
さっそく音源をマイICレコーダに録音した。
●「十三の砂山」
(十三の砂山うんちく http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/53445417.htmlより)
昔この地方に13の村があったそうな・・・・
 さらに14世紀の大津波で村は壊滅、砂だらけになったそうな・・・・米の取り立て役人(弁財衆)にこの砂が米ならよかったのに・・・・そしたら米を取り立て役人に、あてつけにこの砂をタダで積んで上げらあ、・・・・苦しい胸の内を唄っている。そういう背景がある。
 うちらでは「十三の砂山」と呼ばないで「十三砂」(とさすな)と短く呼んでいるです。大津波がほんとうにあったのか、この繁栄した港町があったのか遺跡発掘調査をしているのだと・・・・イタリアのポンペイ遺跡のようだなあ。幻の港町。いつか行ってみたい。

【歌詞】
 十三の砂山ナーヤーエー 米ならよかろナー
 西の弁財衆にゃエー ただ積ましょ ただ積ましょ
 弁財衆にゃナーヤーエー 弁財衆にゃ西のナー
 西の弁財衆にゃエー ただ積ましょ ただ積ましょ 
●十三湖(じゅうさんこ)はシジミとハクチョウで有名なところです。知りませんでした。
津軽国定公園内に位置する。周辺自治体は五所川原市(旧市浦村)、北津軽郡中泊町(旧中里町)、つがる市(旧車力村)である。周囲30キロメートル、水深は最大3.0メートルに過ぎない。南方より岩木川が流入する。独特の荒涼とした風景に囲まれている。

 
●昨日の土曜日・・・・老夫婦で元町・中華街に行ってみました。
西武線飯能駅から直通で元町・中華街にいける。行ってみるか!
所要時間1時間35分。片道1140円。乗り換えなし。写真は元町・中華街駅前の朝陽門。
中国特有な青いきれいな門でした。
●横浜中華街(よこはまちゅうかがい)は、神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)である。1955年以前は唐人町や南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、中国各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当該地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割にあたる。
約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 
●こんな中国風の屋根。中国に行ったみたい。パチリ。
地図をたよりに中華街に入ったが・・・・食べるところばかり、中華まんをほおばって、甘栗を食べて・・・・どこを歩いているのか迷路。約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗がる・・・・ありすぎ。どこで食べてよいのか田舎者にはわからない。
相当に下調べをして目的のお店にいかないと、素人さんは迷路にウロウロするだけだね。
食べ物はいいから、今度はこの中で歴史散策などのポイントをさぐってみたい。2月10日(日)は春雪(旧暦元旦)で獅子舞などがあるそうだ。そのころにまた行きたいものだ。
・人気メニュー
1位北京ダック・2位フカヒレ風おこげ・3位エビのチリソース煮・4位フカヒレ風スープ・5位鶏肉の唐揚げ
●フカヒレスープがうまい。
●ショウロンポウ小籠包(しょうろんぽう)
中華圏で食べられている中華料理の点心の一種。小籠湯包あるいは小籠包子とも呼ばれる。
小籠包は豚の挽肉を薄い小麦粉の皮で包んで蒸籠蒸しした包子である。特徴として薄皮の中に具と共に熱いスープが包まれている。
この熱いスープは注意だ。舌をヤケドする。ショウロンポウのお店はそれを求める人で順番待ちだ。


●中華街を出て山下公園まで散策。これが氷川丸だ。(川越の氷川神社から命名したそうな。船内に氷川神社の祭壇がある)
とても美しい客船。12000トン急。海はいいねえ・・・・吹く風はやや寒い。
●氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2013年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。
世界的には傑出した存在ではない中級サイズの貨客船ではあるが、その接客設備とサービスの優秀さによって太平洋を往来する著名人たちに愛用され、数多くの逸話を残した船として知られる。
多くの日本の貨客船が喪失された太平洋戦争でも沈没を免れた数少ない大型貨客船で、戦後も1960年(昭和35年)まで北太平洋航路で運航を続けた。運航終了後は横浜市の山下公園前(横浜港)に係留されている。

 
●山下公園から横浜赤レンガまで船で10分。よし乗ってみよう。
。岸壁の桟橋に乗ると桟橋事態が揺れている。乗る前から気持ちが悪くなりそう・・・・ようやくなだめて・・・・10分間乗りました。
船から見える横浜ベイブリッジだ。
●横浜ベイブリッジ(よこはまベイブリッジ)
1989年(平成元年)9月27日に開通した[1]神奈川県横浜市にある長さ860m(中央支間長460m)の斜張橋(吊り橋)である。東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担うことにより、都市部の渋滞を緩和する重要な輸送路である。
レインボーブリッジ?・・・・あれと違います。

●レインボーブリッジ(Rainbow Bridge)
東京都の港区芝浦地区とお台場地区(港区台場および江東区有明)を結ぶ吊り橋。1987年(昭和62年)着工、1993年(平成5年)竣工、同年8月26日開通。
「レインボーブリッジ」の名前は一般公募により決められたもので、正式名称は「東京港連絡橋」である。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 
●横浜赤レンガ倉庫
これってなんでしょう?古めかしいレンガ・・・・なんでしょう?なんの事前知識もなくいったものですから?
・・・・要するに、明治の時代・・・・横浜に輸入した物資を輸入手続きが済むまでいったん倉庫に収納したそうな。その一時保管の収納倉庫がこの横浜赤レンが倉庫だ。現在は付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され様々な展示スペース、ホール、広場、店舗になっている。
●赤煉瓦
横浜赤レンガ倉庫(よこはまあかレンガそうこ、Yokohama Red Brick Warehouse)は、神奈川県横浜市中区新港一丁目の横浜港にある歴史的建築物の愛称であり、正式名称は新港埠頭保税倉庫である。みなとみらい地区内の2街区にあたる。
2号館は1911年(明治44年)、1号館は1913年(大正2年)に竣工。保税倉庫としての役割は1989年(平成元年)までに終え、しばらく放置されていた。2002年(平成14年)に、1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、横浜みなとみらい21地区の代表的な観光施設となっている
こうして、2002年(平成14年)4月12日、赤レンガ倉庫を中心とした付近一帯は、展示スペース、ホール、広場、店舗からなる商業施設赤レンガパークとしてオープンした。赤レンガ倉庫1号館は主に文化施設として、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団が運営する。赤レンガ倉庫2号館は商業施設で、株式会社横浜赤レンガが運営する。株式会社横浜赤レンガには、キリンホールディングス(キリンビール)、サッポロビール、ニユートーキヨー、ハリマビステム、相模鉄道、タカナシ乳業、崎陽軒、三菱地所、竹中工務店などが出資している。
赤レンガパークは、2006年(平成18年)1月に通算来場者が2000万人を超えるなど、横浜の人気観光地となっている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

●様々な店舗があり飲食もできるが・・・・歴史の背景が理解できなかった。
ようやく倉庫の一角に歴史を垣間見る記述があった。商業ばかりメインでなく歴史の背景をメインにしたほうがいいかなあ・・・・ただ食べたり飲んだりでは満足しない。
歴史的な赤レンがの背景が大切だ。その上に立って商売があってもいい。
中華街もそう感じた。飲む食べる・・・・それだけでは満足しない。若い人は満足するかも知れないが・・・・我々シルバーは目的が違う。そこをくすぐればリピータは増えるのにねえ。

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