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雑感日記

道徳の教科化 雑感 

2013年11月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 
★道徳の教科化に付いてこのような記事が載っていた。
記事の大要は次のように述べている。
 
【主張】
道徳の教科化 今度は逃げずに実現せよ

 小、中学校の道徳の授業を「特別の教科」として充実させる案が文部科学省の有識者会議で検討されている。道徳の教科化はこれまでも提言されながら腰砕けになってきた。現状では、道徳が教科ではないため、学校や教師によっては内容がおざなりで、別の授業に流用されるなど形骸化している。
 教科としての位置づけを明確にし、教師の指導力向上や教材の工夫につなげることが必要だ。
 道徳の授業は戦後、日教組などの反対にあい、正式教科とはされなかった。教科化は、平成19年に第1次安倍晋三政権当時の教育再生会議でも提言された。・・・
 ところが教科化は見送られた。「教科」には(1)点数評価(2)専門の教員免許(3)検定教科書−の3つの条件が必要とされる。中央教育審議会や文科省は教科書づくりや点数評価を「難しい」と決めつけ、議論を深めなかった。「国が価値観を押しつける」などの批判をおそれたことが大きな理由だ。
 叱ることができず、ほめることも苦手な親など、家庭の教育力低下が心配されるなか、学校が家庭と連携し、道徳教育を充実させる意義は大きい。「悪いものは悪い」と教え、思いやりや勇気をはぐくむ教育は、けっして押しつけなどではない。ネット空間をさまざまな情報が飛び交う社会の中で、価値判断に迷う場面は増えている。先生が指導力を高め、子供たちと一緒に考える授業は大切だ。

 
 などと書かれているが、確かになかなかムツカシイ問題だなと思う。
私などは戦前の教育を受けて育ったが、道徳教育などを特に強化で受けた覚えはない。修身という言葉はあったが、修身の授業などあったのだろうか?
家庭でも、学校でも、特別に道徳の教育はなかったと思うが、生活の場面場面で、親からも先生からも道徳的な教育は受けていたような気がする。学校よりもむしろ家庭でいろいろ言われたようにも思う。
大体改めて『道徳』とは一体どういうことなのか、言ってみろと言われたら『こんな事だ』と自信を持って言い切るほどの見識を持ち合せてはいない。
ネットで検索すると、いろいろ出てくるが
 こんにちの用法では倫理という語と根本的な相違はない。倫とは仲間を意味し,人倫といえば,畜生や禽獣のあり方との対比において,人間特有の共同生活の種々のあり方を意味する。倫理とは,そういう人倫の原理を意味し,道徳もほぼ同様であるが,いずれかといえば原理そのものよりも,その体得に重点がある。すなわち,道とは人倫を成立させる道理として,倫理とほぼ同義あり,それを体得している状態が徳であるが,道徳といえば,倫理とほぼ同義的に用いられながらも,徳という意味合いを強く含意する。
 これなど何となく解るが、解ったような気がするだけかも知れない。
以下の解説の方が解り易いが、そちらでは『道徳は教えることは不可能です。』と書いている。
 
 道徳を教えることは不可能です。 なぜなら、道徳は、知識ではなく、価値観だからです。 教えても学ばず、教えなくても学ぶのが、 知識と違う価値観というものの特色です。 でもこうも書いておられます社会はそれぞれの時代の要請に見合った最低限の規則を作り実行し、犯罪者は罰する。
でも「それぞれの時代の要請に見合った最低限の規則」と「道徳」とはどう違うのでしょうか。 「犯罪者を罰する」のと「道徳を教育する」のとはどう違うのでしょうか。
たとえば三省堂の「新明解国語辞典」は「道徳」を定義して 「社会生活の秩序を保つために、一人ひとりが守るべき、行為の規準」 としています。 これが通俗の「道徳」の意味だとすれば、「それぞれの時代の要請に見合った最低限の規則」とは 通俗的意味での「道徳」のことです。 そして「違反者を罰する」のはまさに 通俗的意味での「道徳を教育すること」です。
規則を作るのは、守るためであり、また、守らせるためです。 そして多くの大人にとって、手近にいる違反者の代表は自分の子供です。 ですから親は子供に、社会の規則を守るように教え、 守らない場合は罰するのです。
 
    
 
★道徳教育の必要性については、間違いなく安倍さんが提唱しているのだろうが、
『美しい日本』を取り戻すためには、子どもたちは勿論、大人たちも一度、道徳について考えてみることは、有意義なことである。
 
昨今、取りざたされている『食品偽装』は明らかに、道徳心の欠如であり、これはダメである。
大人たちも、一流企業も、その経営者と言う社会的地位の高い人たちも、みんな失格である。
確かに、この人たちは道徳の知識を持ち合せていないとは思わない。
こんなことになってしまうのは、日本の社会の『価値観』がそのようなレベルにあると言うことなのだろう。
『食品偽装』も『銀行の暴力団への融資』も何となくそれを許す価値観を日本人みんなが持っているということなのだろう。
 
では、日本人は、全く道徳心のないダメな民族か?
そんなことはない。 世界のあちこちで起こる災害、その時に必ず起こる集団的な略奪行為、
阪神大震災も東北大震災の時でも、それは起こらなかったし、みんなが援けあう美しい行動は、日本人の道徳心の高さなのだろう。
 
世の中は、ドンドン進み新しくなっていく。そんな時代にあった『新しい価値観の創造』に繋がるような道徳教育、そんなことを、大人も、子どもも、この機会に立ち止まって、もう一度考えてみることは、たいせつなことだと思う。
 
★★English Version です。
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