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三井寺(円珍大師生誕1200年) 

2013年11月07日 外部ブログ記事
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三井寺は、天台寺門宗の総本山

比叡山延暦寺と社格同格なのに、知名度、参拝者数が違うのか?
三井寺は、延暦寺と比較すると小振りで、延暦寺の別荘感覚です














三井寺参拝順路で記載

三井寺概略
開基:大友与多王
本尊:弥勒菩薩

「三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」
天智天皇は、弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立が果たせませんでした
天智天皇の孫、大友与多王は、弥勒像を本尊とする寺の建立しました

三井寺の歴史
大友氏の氏寺とし創立され、9世紀に、円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興されました
比叡山延暦寺との対立抗争で、比叡山の宗徒により三井寺が焼き討ちされました
豊臣秀吉によって寺領を没収されて、廃寺同然となりました
苦難を乗り越えたお寺「不死鳥の寺」と称されています

三井寺の基礎を円珍
大友氏の氏寺であった三井寺を整備し唐からの経典や法具を唐院に収蔵しました
円珍は、天台宗最高位、座主に就任し24年間その地位に有りました

円珍の没後の三井寺
比叡山は円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれました
円珍の没後100年、円珍派は比叡山を下りて三井寺に移りました
延暦寺を「山門」三井寺を「寺門」で両者の対立抗争は「山門寺門の抗争」です

三井寺への崇拝
平安時代には、藤原道長、白河上皇らが深く帰依しました
源頼義が三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代の源氏に尊崇されました
豊臣秀吉より廃寺となりましたが、秀吉死の直前に、再興の許可を受けました
現在の三井寺の寺観は、この頃に整えられたものです
第二次大戦後、天台寺門宗総本山になりました

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