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人生日々挑戦
野茂英雄投手
2013年09月01日
テーマ:人生
去る8月21日、大リーグ、ヤンキースのイチロー選手がブルージェイズ戦でヒットを打ち、日米通算4000本安打を達成した。
4000本安打に王手をかけて臨んだ試合の第一打席で決めてしまうところがイチローらしい。
イチローは、日本では、オリックスに在籍した9年間で1278本のヒットを打ち、大リーグに移籍後は、10年連続でシーズン200本以上の安打を記録するなど、13年目で2722本のヒットを打って、日米通算4000本安打を達成した。
日本では、4000本安打を達成したプロ野球選手はいない。大リーグでも、4256本の最多安打記録を持つピート・ローズと4191本のヒットを打った球聖タイ・カッブの2人しかいない。イチローの日米通算4000本安打は大記録なのだ。
しかし、記録より記憶に残るプロ野球の大選手もいる。
去る5月5日に、国民栄誉賞が同時に授与された長嶋茂雄さんと松井秀喜さんだ。
長嶋茂雄さんは、勝負強い打撃や華麗な守備でファンを魅了し、巨人の日本シリーズ9連覇を支え、「ミスタープロ野球」と呼ばれた。巨人監督時代には、松井秀喜さんを鍛え、球界を代表する強打者に育て上げた。
松井秀喜さんは、「ゴジラ」の愛称で親しまれ、日米の人気球団で活躍し、通算507本塁打をマークした。大リーグのヤンキースでは、2009年のワールドシリーズで3本塁打を放ち、日本人選手初の最優秀選手に選ばれた。
実は、イチローは、過去に2回、国民栄誉賞授与の打診を受け、受賞を辞退している。
2001年秋には、大リーグでの活躍に対する授与の打診に、「まだ若いので」との理由で、2004年秋には、大リーグでのシーズン最多安打の新記録樹立に対する授与の打診に、「今の段階で国家から表彰を受けると、モチベーション(動機づけ)が低下する」との理由で辞退したのだ。
こうした経緯のあるイチローだから、国民栄誉賞の受賞は、それこそ時間の問題だ。
今、大リーグで活躍する日本人選手は、数多い。イチローを初めとする野手は、4人。投手は、レンジャーズのダルビッシュ有やマリナーズの岩隈久志など、9人もいるのだ。
しかし、昔は、大リーグで活躍していたのは、たった一人だった。その人は、 野茂英雄投手。
野茂英雄投手の投げ方は、独特であり、トルネード投法と呼ばれた。
その投げ方は、大きく振りかぶり、投球動作の時に、左足を上げたまま身体全体をセンター方向にひねり、その反動を最大限に利用した150kmもの重い速球と二種類のフォークで三振の山を築くのだ。
野茂英雄投手は、日本では、1990年から1994年までの5年間、プロ野球の近鉄に在籍し、次のような成績を挙げた。わずか5年間での成績である。
78勝46敗1S 防御率3.15 1204奪三振
最多勝4回 最多奪三振4回 最優秀防御率1回
最高勝率1回 新人王 シーズンMVP1回
ベストナイン1回 沢村賞1回
1994年のシーズンオフ、野茂英雄投手は、それまでの近鉄球団や球団関係者との確執など、紆余曲折を経て日本で任意引退扱いとなり、大リーグはナショナルリーグ西地区所属のロサンゼルス・ドジャースに入団する。
1995年、マイナー契約から大リーグにはい上がり、13勝6敗、236奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得するとともに、新人王に選ばれた。
1996年9月17日、野茂英雄投手は、ロッキーズを相手にノーヒットノーランを達成する。ロッキーズは、強打で鳴らしたチームであり、しかも、球場は、標高約1600m
の高地で空気が薄いため投手のスタミナの消耗が早く、球場が広くないうえにボールも飛びやすい、という投手泣かせの球場だ。
この日、雨で試合開始が2時間遅れたが、野茂英雄投手は、トルネード投法を封印し、セットポジションに終始した投球でノーヒットノーランを達成した。
創意工夫と臨機応変さによるものだ。
この年は、最終的にチーム最多の16勝をマークした。チームは、パドレスと地区優勝を争い、1ゲーム差で敗れた。
その後、メッツ、ブルワーズ、タイガースを経て、レッドソックスへ移籍。
ボストン・レッドソックスは、アメリカンリーグ東地区所属のチームだ。
2001年4月4日のオリオールズとの開幕戦。野茂英雄投手は、開幕初登板でノーヒットノーランという偉業を成し遂げた。これは、自身2度目で、両リーグにまたがるノーヒットノーランの達成である。
両リーグでのノーヒットノーラン達成は、サイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアンに次いで大リーグ史上4人目となった。
この年は、シーズン220奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。
2002年には、ドジャースに復帰して16勝6敗という好成績を残し、2003年にも2年連続での16勝をマークする。
2005年6月には、この年から在籍するデビルレイズで日米通算200勝を達成した。
その後、右肘を故障して手術し、リハビリを経て、2008年にロイヤルズで3年ぶりの大リーグ登板を果たすが、結果を残せず、その年の7月、現役を引退した。
野茂英雄投手は、大リーグでは、1995年から2005年までと2008年の12年間在籍し、次のような成績を残したことになる。
123勝109敗 防御率4.24 1918奪三振
新人王 最多奪三振2回
そして、17年間に及ぶプロ野球の日米通算成績は、
201勝155敗1S 防御率3.86 3122奪三振 である。
今や数多くの日本人選手が大活躍する大リーグ。それは、1995年にたった一人で太平洋を渡った野茂英雄投手の頑張りから始まった。
野茂英雄投手は、開拓者であり、先駆者である。
しかし、そればかりでない。もっと大事なことがある。
野茂英雄投手の野球人生、日本での1990年から1994年までの5年間、アメリカでの1995年から2005年までと2008年の12年間、これは、平成2年から平成20年までのことだ。
この間の、とりわけアメリカでの野茂英雄投手の大活躍が日本人をいかに勇気づけ、感動させたことか。
戦後昭和の一時期、世界から、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、「日本がナンバーワン」ともてはやされた日本。
しかし、平成に入ってすぐ、バブルが崩壊し、「失われた20年」を経なければならなかった日本。
この間、政治の無策、愚策のゆえに没落してしまった日本。
野茂英雄投手の野球人生は、まさに日本のバブル崩壊後の失われた20年と重なるのだ。
大リーガー野茂英雄投手の開拓者、先駆者としての功績は、日米の野球史のみならず、戦後日本の歴史のうえでも重大である。
野茂英雄投手は、言うまでもなく偉大な選手だが、敢えて分類すれば、記録より記憶に残るプロ野球の大選手であろう。
そして、国民栄誉賞が同時に授与された長嶋茂雄さんと松井秀喜さんに対するのと同様に、いつの日にか、野茂英雄投手に国民栄誉賞を授与してあげたい。
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同感です
長嶋さんの国民栄誉賞は、時遅すぎた感。
松井さんは、まだ早すぎたかな?
それよりも、wasaoさんご指摘のとおり,
何故野茂投手の活躍が評価されないのか
理解に苦しみます。私以外の友人達も、
そう思った人がたくさんいましたよ。
2013/09/02 06:33:33