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二輪文化を伝える会 

2013年07月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 ★二輪文化を伝える会  という特別プロジェクトが昨年の7月にスタートしました。
ちょうど1年が経過しましたが、1年間と言うのは相当な時間で、その気でやればいろんなことが出来るものだと思いました。
以下に、その内容をそのまま転記してみますが、松島裕さんが、殆ど独りで創り上げた記録です。
 
あと1年経った来年にはどんな状況になっているのでしょうか?
松島さんは、『30年掛けて完成させる』と言う長期の計画で取り組んでいます。
 


二輪文化を伝える会

 
 二輪文化を伝える会について


「二輪文化を伝える会」は、ホームページやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などを通じ、それらと連動したイベント等を開催し、多くの方々に参加していただくことで、二輪の素晴らしさ、オートバイやレースの歴史などを、世代・地域・業種などの垣根を越え、分野を問わず伝え広めていく活動を行います。
NPO法人 The Good Times(古谷錬太郎理事長)の「二輪文化を語る会」の団体プロジェクトとして、2012年6月より活動を開始しました。
日本の二輪文化バイク文化には誇るべき点はたくさんあるはず
日本には、世界の4大メーカーが存在し、全世界における日本メーカーのシェアは約40%。モーターサイクルスポーツの世界でも、長年にわたりチャンピオンマ シンとして君臨し、数多くの世界チャンピオンライダーも輩出してきました。そう、世界の誰もが認めるオートバイ王国なのです。ところが実際に国内を見てみると、どうもオートバイ王国というにはほど遠いのが現状です。そこで、ただ単に欧米と比べるのではなく、まず日本の二輪文化の誇るべき点は何なのか?ということに焦点を当て、オートバイに情熱を燃やした方々や歴史的な出来事をもう一度整理して焦点を当ててみようと思いたちました。するとどうでしょう。ちょっとバイクには詳しいつもりでしたが、あまりに知らないことばかりに驚かされます。
「三ない運動」により失われた時間を取り戻そう
その背景には様々な事情があるとは言え、かつて一部教育界が推し進めた「三ない運動(バイクを運転させない、買わせない、免許を取らせない)」により、もっとも乗り物に興味を示す年代の少年少女たちを、バイク(車も)から遠ざけてしまうことになりました。悲しいかなその効果は十分すぎるほど十分で、オートバイをはじめとする乗り物に「夢とロマン」を感じた経験のない人たち・世代が増えてしまいました。この約三十年の間に失われてしまったものを取り戻すためには、「夢とロマン」の詰まった二輪車の魅力について、やはり三十年くらいの年月をかけるつもりで、語り伝え続けることが必要なのではないでしょうか。
郷土史や民族史を学ぶのと同じように
懐かしい話題が多くなりますが、懐古主義というわけではありません。多くの国や民族が、子供世代に郷土史や民族史を学ばせるのと同じように、日本に生まれ、オートバイに興味を持った人には、世界に誇る日本のオートバイについて、その歴史を知ってもらい、バイクを愛するものとしてのアイデンティティを確立し、それを誇りに感じながら充実したバイクライフを送っていただきたい。今後三十年かかっても、そんな誇り高いバイクライフのための道しるべとなることが「二輪文化を伝える会」の本分でもあります。
まずは私たちが知ることから、そしてそれを伝えていく
日本のオートバイが世界を席巻するようになったのは、オートバイに情熱を注ぎ、発展や普及に尽力された方々がたくさんいるからにほかなりません。そんな方々にいろいろなエピソードや苦労話を語っていただくこと、そしてそれを今現在オートバイに興味を持っている私たちが知ること・感じること、さらにそれを次世代や異業種、異地域の人たちに伝えることができたら、日本の二輪文化はもっと発展成熟し、世界に誇れる文化に進化していくことでしょう。より深く心に残せるように、諸先輩方にできるだけ直接お話を聞けるトークイベントなどの機会を作りたいと思っています。
現代の情報ツール・インターネットを活用して
今はインターネット時代。ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などのサービスも普及し、日本のみならず世界中の人たちと簡単に繋がることができる時代です。これらのサービスをうまく活用し、活動主旨に基づいて多くの方たちに日本の二輪文化に関する情報を届けることができれば、その進化発展に少なからず影響を及ぼすことができるかもしれません。ただし、失った三十年を取り戻すには、やはり三世代三十年はかかるとは思いますが・・・。
まずはTwitterでフォロー、Facebookで「いいね!」から
Twitterで二輪文化を伝える会のアカウントをフォローしてください。二輪文化を伝える会のFacebookページの「いいね!」を押してください。そんな緩い繋がりからスタートです。
そして、リツイートしたり、シェアしたりして、あなたのフォロワー・友だちにも伝わるようにしてください。
カード会員と協賛
カード会員になると、二輪文化を伝える会のイベントや協賛企業(今後予定)の特典を受けられるようになります。(※カード会員はNPO法人The Good Timesの会員システムを利用しています。入会金1,000円のみで年会費等はありません。)カード会員は個人だけでなく法人・団体も入会できます。
また継続的な運営のために、ホームページのバナー協賛やイベントの協賛企業様も順次募集します。
運営メンバー
「二輪文化を伝える会」の運営は、
 



統括
村島 邦彦(株式会社インターナショナルトレーディングムラシマ)

広報
松島 裕(松島企画)

企画
早川 浩人(スクリーンアウト)伊藤 洋一(ベストコレクター)

事務局
東京都杉並区浜田山1-23-7(株)インターナショナルトレーディングムラシマ 内Tel : 03-3304-8503

相談役
古谷錬太郎(元川崎重工技監、NPO法人The Good Times理事長)




資料・写真ご協力
数々の貴重な写真や映像、資料等のご協力をいただいた皆様です。ありがとうございます!


山本隆 様
平井稔男 様
VMXワークスショップ ホーリーエクイップ 様



伊藤静男 様


 
 
 
 
 
 
★こちらは バイク年表  と 人物伝 です。
 
勿論、まだ未完成でしょうが、相当のレベルだと思います。
 
 
 
 

日本バイク年表
 
1896年(明治29年)〜1912年(明治45年)




1896年(明治29年)
モーターサイクル伝来。日本で初めてオートバイが人の前に姿を見せたのがこの時と言われています。


1909年(明治42年)
島津楢蔵が国産1号車 NS号を完成させる



1912年(大正元年)〜1926(大正15年)



1913年(大正2年)
鳴尾競馬場でオートバイレースが開催される


1914年(大正3年)
宮田製作所 国産初の市販車アサヒ号を発売


1923年(大正12年)
月刊オートバイ 創刊


1926年(大正15年)
第1回全国オートバイ競争開催(愛知県津島)



1926年(昭和元年)〜1945年(昭和20年)



1930年(昭和5年)
多田健蔵 日本人初のマン島TTレース出場


1933年(昭和8年)
宮田製作所 アサヒ号AA型発売(初の国産量産車)


1936年(昭和11年)
陸王内燃機 陸王号の生産を開始多摩川スピードウェイ 開業(日本初の常設サーキット)


1937年(昭和12年)
メグロ メグロ号(Z97)発売


1945年(昭和20年)
第二次世界大戦終結



1945年(昭和20年)〜1949年(昭和24年)



1946年(昭和21年)
富士産業(富士重工)がラビットS-1を発売みづほ自動車 自転車用バイクモーター「ビス・モーター」発売宮田製作所「アサヒ号DC型」(200cc)発売


1947年(昭和22年)
中日本重工業(三菱重工)がシルバーピジョンC-10を発売ホンダ、A型自転車用補助エンジン生産開始


1948年(昭和23年)
二輪車免許区分(小型第三種・第四種)新設本田技研工業設立


1949年(昭和24年)
ホンダ ドリームD型発売自動二輪車免許(名称)新設日本小型自動車工業会 設立第1回全日本モーターサイクル選手権が多摩川スピードウェイで開催



1950年(昭和25年)〜1952年(昭和27年)



1950年(昭和25年)
6月 朝鮮戦争(〜1953年)朝鮮特需7月 第2回全日本モーターサイクル選手権(多摩川スピードウェイ)で大村美樹雄が優勝


1951年(昭和26年)
3月 丸正自動車ライラックML号発売10月 ホンダ、4サイクル146ccのドリーム号E型発売


1952年(昭和27年)
1月 富士精密工業 自転車補助エンジン BSバンピー号発売3月 ホンダ 自転車補助エンジンキットカブF型(50cc)発売4月 スズキ 自転車補助エンジン パワーフリー号(36cc)発売7月 ガソリン統制解除



1953年(昭和28年)〜1954年(昭和29年)



1953年(昭和28年)
3月 名古屋TTレース開催3月 スズキ ダイヤモンドフリー号(2st 60cc)発売7月 第1回富士登山レース開催川崎機械工業が自転車補助エンジンの生産開始、明発工業(メイハツ)設立


1954年(昭和29年)
2月 ホンダ・メグロ 戦後初の海外レース(ブラジル・サンパウロ)に挑戦3月 ホンダ マン島TTレース出場宣言6月 スズキ 4サイクル90ccのコレダ号CP型を発売。社名も鈴木式織機から鈴木自動車工業に変更。第2回富士登山レース開催日本楽器 オートバイの開発に着手



浅間時代:1955年(昭和30年)〜1959年(昭和34年)



1955年(昭和30年)
2月 ヤマハ(当時:日本楽器)二輪事業参入 YA-1発売7月 ヤマハ発動機創立7月 第3回富士登山レース11月 第1回浅間高原レース開催


1956年(昭和31年)
6月 浅間高原テストコース協会 設立、コース建設開始7月 第4回富士登山レース


1957年(昭和32年)
7月 浅間高原自動車テストコース完成10月 第2回 浅間火山レース


1958年(昭和33年)
ヤマハ アメリカ・カタリナGP出場、伊藤史朗6位MCFAJ 設立第1回全日本クラブマンレース開催(浅間高原テストコース)ホンダ スーパーカブC100発売


1959年(昭和34年)
第1回全日本モトクロス大会(大阪信太山)開催ホンダ マン島TTレース初出場谷口尚己 世界選手権初ポイント獲得(マン島TTレース6位)第3回浅間火山レース+第2回全日本クラブマンレース開催



1960年(昭和35年)〜1964年(昭和39年)



1960年(昭和35年)
第2回MCFAJ全日本モトクロス(朝霧高原)


1961年(昭和36年)
MFJ 設立高橋国光 世界グランプリ初優勝(西ドイツ 250cc ホンダ)


1962年(昭和37年)
鈴鹿サーキット誕生第1回全日本ロードレース大会開催(鈴鹿サーキット)


1963年(昭和38年)
伊藤史朗 デイトナ250ccクラス初優勝(ヤマハ海外レース初優勝)伊藤光夫 マン島TTレース日本人初優勝(50cc スズキ)伊藤史朗 ベルギーGPでWGP初優勝(250cc ヤマハ)名神高速道路 一部開通


1964年(昭和39年)
川崎重工 メグロを吸収トーハツが倒産東京オリンピック開催・東海道新幹線開業


1965年(昭和40年)
高速道路でのヘルメット着用義務化と二人乗り禁止


1966年(昭和41年)
富士スピードウェイ開業


1968年(昭和43年)
富士重工 ラビットの生産終了(4メーカー時代へ)東名高速道路 一部開通


1970年(昭和45年)
筑波サーキット開業


1977年(昭和52年)
片山敬済 世界チャンピオン獲得(WGP350)


1978年(昭和53年)
自動二輪車のヘルメット着用義務化渡辺明 世界チャンピオン獲得(WMX125)


1982年(昭和57年)
三ない運動 全国に広まる


1993年(平成5年)
原田哲也 世界チャンピオン獲得(WGP250)


1994年(平成6年)
坂田和人 世界チャンピオン獲得(WGP125)


1995年(平成7年)
青木治親 世界チャンピオン獲得(WGP125)


1996年(平成8年)
青木治親 世界チャンピオン獲得(WGP125)


1998年(平成10年)
坂田和人 世界チャンピオン獲得(WGP125)


2001年(平成13年)
加藤大治郎 世界チャンピオン獲得(WGP250)


2004年(平成16年)
藤波貴久 世界チャンピオン獲得(トライアル)


2006年(平成18年)
高速道路二人乗り解禁




 
 
 
 
 


二輪文化を伝える会
人物伝

 



人物伝
2013.7.2 更新



安良岡健(1960〜70年代に3メーカーのワークスライダーとして活躍)
伊藤史朗(第1回浅間高原レースで優勝した幻の天才ライダー)
伊藤 正(丸正自動車の創業者)
伊藤光夫(1963年にマン島TTレースで優勝した初の日本人)
宇野順一郎
大村美樹雄(1954年ブラジル・サンパウロ市政400年記念レースに出場)




糟野雅治
片山敬済(1977年ロードレース世界グランプリ350ccチャンピオン)
片山義美
金谷秀夫
川上源一(ヤマハ発動機株式会社の創業者)
北野晶夫(大藪春彦の小説「汚れた英雄」の主人公)
北野 元(1954年全日本モトクロスでデビューウイン。元ホンダワークスライダー)
久保和夫(1965年日本人として初めてモトクロス世界GPに出場)
黒澤元治(1962年第1回全日本選手権ロードレース・鈴鹿、ノービス50cc&125cc優勝)
小嶋松久(1964年第1回MFJモトクロス日本GP50cc優勝。マウンテンライダース初代代表)



島津楢蔵(明治42年にオートバイ国産一号機を完成させた技術者)
十文字信介(明治29年に初めて日本にオートバイを輸入し走らせた人)
菅家安智(昭和40年第2回MFJモトクロス日本GP 50ccクラス優勝)
鈴木高治(村田延治と共に目黒製作所を創立)
鈴木忠男(1970年インターナショナルロードレースオランダ戦日本人初優勝)



高橋国光(1961年に世界グランプリで日本人初の優勝)
多田健蔵(昭和5年にマン島TTレースを走った初の日本人)
谷口尚己(1959年マン島TTレースで6位入賞、日本人初のポイント獲得)
田代勝弘(メグロのライダーとしてブラジルに派遣、浅間高原レースにも出場)



根本 健
野口種晴(ヤマハ初代ワークスライダー。スポーツライダー代表として多くのライダーを輩出)
野村順亮(野村モータース創業者。ヤマハの創業時に大変な功績のあった人で野口種晴さんの義兄)



長谷見昌弘(1962年 高校生ながら全日本モトクロス50ccクラス優勝)
本田宗一郎(本田技研工業の創業者)
星野一義(1968年全日本モトクロス90,125ccチャンピオン。4輪転向後は「日本一速い男」の異名をとる)



村田延治(鈴木高治と共に目黒製作所を創立)
本橋明泰(元ヤマハファクトリーチーム)



山本 隆(昭和42年MFJ全日本モトクロス初代チャンピオン)
吉村太一(1967年MFJ全日本MX 125チャンピオン、70年全日本MX125、250チャンピオン。RS TAICHI創業者)




渡辺 明(1978年モトクロス世界グランプリ125ccチャンピオン)

 
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