メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

憲法改正と国会議員の質 

2013年07月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 参議院議員選挙真っただ中。
ただでさえ酷暑なのに、大音量の街宣車が生活の平穏を乱して
私は情緒不安定になってしまいます。
オーストラリアでは何度も選挙の時期を過ごしましたが、
街に候補者のポスターが増えると「ああ、選挙なのだ」と感ずる程度で
日本のように街宣車が騒音をまき散らすことはありません。
日本の候補者の中に国民・住民に騒音の苦痛を与えていると
罪悪感を持つ人がいるとは思えないのです。
 
 この選挙。争点は経済と原発、それに憲法と久しぶりに重く大きな
問題が前面に出ていますね。TPPの行方にも関心が寄せられています。
その中で、私は特に憲法の改正(改悪)問題について
少なからず心配しています。
憲法を改正したくてうずうずしている人たちが前面に出てきたからです。
 
 しかも、いきなり憲法第9条に手を付けて軍国化推進を主張すれば
選挙結果に悪影響があるとの打算から、ひとまずそれは黙っておいて、
とりあえず先に憲法改正に必要な96条の発議要件の緩和を
公約にしておいて、お墨付きが得られれば、
選挙後は思うように憲法を変えることができるという打算が
あからさまです。
 
確かに、現憲法が制定されて65年が経ち、実態にそぐわない面が
出て来ていると言います。
また、改憲を声高に叫ぶ人は「現在の日本国憲法は自前のものではなく
押しつけられたものだから、自前の憲法を制定すべきだ」、
「改正のハードルが高過ぎる」と主張します。
 
 確かに現憲法はアメリカの手によって生まれはしましたが、
これほどまでに平和を追求し、戦争への食指を厳しく制限した美しい憲法に
私は誇りを持っていたいと思います。
誰が制定しようが、その理念が崇高で犯し難いものであれば
安易に改憲をすべきではないと思うのです。
 
一番心配なのは、憲法に手をつけようとする国会議員の恐らくほとんどは
選挙に通る事だけに全精力を費やし、どの政党に所属するかは
政治理念によって決まるのではなく、勢力と時流によって決まります。
醜い習わしの世襲議員・候補者も掃いて捨てるほどですね。
選挙前はニコニコ、ペコペコ。終わると途端にふんぞり返るのが彼らの
本性です。
 
こうした人格や知性・理性の面で疑問符が付く人たちが、
また公正な歴史観が欠如した人たちが国会議員となり、
日本国民の生命や安全、人権、福祉、資産保全の
拠りどころとなる憲法に手を付けようというのですから
空恐ろしいことではないですか。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ