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平成の虚無僧一路の日記

白虎隊の真実 

2010年08月23日 外部ブログ記事
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会津の観光地といえば「飯盛山」。自刃した白虎隊士の
墓が在る。

白虎隊といっても全員が自刃したのではない。
白虎隊は、家の格によって「士中・寄合・足軽」に分けられ、
それぞれに一番隊、二番隊とあって、総勢 340 名ほどもいた。
「士中」は禄高100石以上の「高士」の子弟。ま、エリート。

戸の口原に出陣したのは、「士中二番隊」の 42名。その内
20名が本隊とはぐれ 飯盛山で自刃した。他の隊士の中には
鉄砲玉に当たって戦死した者もおり、大半は 城に帰還して、
一ヶ月の籠城戦を戦いぬいているのだ。

自刃した 20名だけが、さまざまに脚色され、美化された。
特に、明治大正昭和と軍国主義の台頭の中で「忠君愛国、
殉国の士の鏡」と喧伝され、「神風特攻隊」を生む政策に
利用された。それを今もって観光に利用するのは、いかが
なものか。むしろ、太平洋戦争で「玉砕」という悲劇を生む
に至るモデルとして 利用されたというのが、より現代的
視点かと思う。

自刃した19士は飯盛山に祀られ、今でも線香の煙が絶え
ないが、戦死した隊士の墓はその傍らにひっそりと佇む。

もっとも気の毒なのは生き残った隊士たちだ。隊長の日向
内記はさんざん悪者扱いされ、その遺族、子孫たちは未だに、
世間に名乗り出れないでいる。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。


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