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平成の虚無僧一路の日記

小椋 佳 

2013年06月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2009/12/28に「小椋佳」でブログを書いていました。再掲です。


「小椋佳の後援会が全国で初めて福島県会津地方の北塩原村にできた。
コンサートのほか、将来は記念館建設も目指す」とのニュースに驚く。

小椋佳といえば「シクラメンのかほり」。大学4年の時、布施明の
歌にしびれた私です。

「小椋」の姓は会津に多いので、なんとなく親近感を持っていた。
そしたら、「小椋佳」の芸名は、「大学在学中に2ヶ月、会津の
北塩原村に滞在し、そこの住民のほとんどが「小椋」姓であった
ことにより命名した」とのこと。(本姓は「神田」)「北塩原村は
“第二の故郷”」と云う。後援会顧問の北塩原村村長も小椋敏一。

(「北塩原」なら、私も学生時代 行ったことがあります)

東大を卒業して 第一勧業銀行に入社し、高度成長期、本業以外で
収入を得ることは許されなかった時代に、「仕事と音楽の二足の
わらじ」を立派に成した小椋佳氏は、私にとって常に励みでした。
私も片足を邦楽界に突っ込んでいたからです。

バブルの頃には、一転して、企業も競って文化活動に後援する
ようになり、小椋佳のように、一芸に秀でて、社名のPRに
一役かうことも是とされた。私も「小椋佳のように一芸に秀でた
サラリーマン」として、マスコミの取材を度々受けたものです。

小椋佳氏は 取締役就任の話を断って、浜松支店長を最期に、
定年前で退職された。そのことも、私が50歳で退職することを
決意するきっかけとなった。


私も実は東京生まれの東京育ちなのだが、会津を第二の故郷と
思っている。年末時代劇『白虎隊』のテーマ曲『いとしき日々』は、
堀内孝雄が歌ってヒットしたが、この作詩も実は小椋佳でした。
「かたくなまでのまっすぐな道、愚か者と笑いますか」は、
正に会津人の思いを代弁してくれた。

さらに、小椋佳氏は、琵琶や三絃、笛などの和楽器を使った
ミュージカル『一休恋慕』を創って公演してくれた。どこまでも
私の先を行ってくれる。比較されながら、追いつけない空しさを
感じる私である。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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