メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

雑感日記

ちょっと複雑、韓国併合100年 

2010年08月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


賛否両論あるのはもっともなことだと思う。あなたは? と言われたら、複雑すぎて想いがいっぱいあって、『賛成でも、反対でもない』どちらの主張も『もっともだ』と思えるのである。★そんな難しい議論ではなくて、正直思った感想、いろいろあって決して纏ってはいないのだが、間違いなくこんなことを思ったのである。●私にとって小学校時代を過ごした韓国は、誰が何と言おうが『わたしの故郷』なのである。だから、韓国はベースのところで好きなのである。だから、韓国を悪く言わないで欲しいと思う。でも、あの頃は韓国でなく、日本であった。そのことが問題なのである。しかし、私の知っている京城は、何処に行っても、日本語が通じる日本だったのである。●子供のころ、そのこと自体に何の疑いも持たなかったが、韓国の人が日本語をしゃべるのはそんなに異和感はなかったが、名前を変える『改姓』にはなんでそんなことをと思ったものである。家にいたお手伝いさんは、大の日本びいきで、いつの日にか『内地に行きたい』と言うのが口癖だった。多分、少数派であろうが、そんな人もいたのである。●韓国併合100年だそうである。終戦が65年前だから、日本が韓国を統治した年数は35年と言うことなのだろうか?この機会にとちょっと調べたら、こんなブログも出てきた。1910年8月だから、やはり35年間である。祖父が韓国に事業を興したのは、多分その10年後ぐらいのことだろう。●その後の25年のちょうど半分くらいが、私が韓国で子供の時代を過ごしたのである。京城(ソウル)だけが特にそうだったのか、65年前の京城は立派な町だった。100年前がどんなだったかは知らぬが、35年間の間に造られたり、建てられたりしたものもいっぱいあったはずである。突如として写真だが、これは私が小学校時代を過ごした家である。これは家にあったのではなくて、ソウルオリンピックの時に、ジェットスキーのデモに招かれてその時家を見つけて写真を撮ってきたのである。門や塀は当時と変わっていたが、家自体は昔のままで残っていた。日本で考えると結構大きいが、このあたり隣近所もみんなこれくらいはあって、普通だったように思っている。●これなども、搾取の実態と言うか結果なのかも知れぬが、豊かであったことは事実である。ただ、この家が、あるいはこのあたり一帯の家に、どなたが住んでおられるのか?元の家の持ち主は、多分タダで置いて帰ってきたはずである。個人の家だけでなく、公共の建物も企業もすべて無償で寄付してきたようなものである。日本人が、そんなに悪いことばかりだったのかと言うと『そうでもない。残したものもある』●そんなことを交渉の道具にいろいろ言うから、ぎすぎすする。隣国なんだから、素直に仲良くすればいい。正直、少々『謝り過ぎ』だとは思うが、日本は何事にも、すぐ頭を下げる『謙譲の美徳』の国であり、韓国は何事にも、『自分の考えを主張する』お国柄である。●これは一国の問題だから、そんなことは言っておられないという意見も解るのだが、どうも本件に関しては、私は二国にまたがっているような気が今でもするのである。韓国が子供のころを過ごした『故郷』であることは、どうしても否定できない事実なのである。日本には、今でも沢山の韓国の人たちが住んでいる。この方たちにとって、多分日本は『故郷』なのだろう。もっと、昔を辿れば、中国から、韓国から日本に移り住んで、日本人になった人も沢山いるはずである。いろいろ言うのは、政治の世界だけでにしてほしい。お互い隣国なのだから、仲良くしたいと本当にそう思っている。]]>

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ