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雑感日記
65年前の8月15日 inソウル
2010年08月15日
テーマ:テーマ無し
中学校に入学して4カ月ほどしか経っていないが実質学校に行ったのはその半分くらいで、残り半分は家のすぐ近くの山で松の木の根っこを掘っていたのである。どれくらいの油が採れたのか、本当にそんな油が飛行機の燃料になるのかは知らぬが、毎日4,5人ひと組で松の根を掘り続けた。中学1年生にとっては松の木一本の根を掘り起こすのは大変な重労働だが、それを当然のこととしてやり続けた。中学校に入ってからの勉強はほとんど覚えていないし、あまり勉強をする雰囲気ではなかった。学徒動員なのか、希望入隊なのか、軍隊に入る、あるいは出征する上級生を京城駅に何度も送りに行った。まさに出陣式で、『お国のために立派に死ねよ』などと何の疑いもなくみんなが叫び、それが普通の光景であったが、御両親などはどんな想いであの光景を感じておられたのであろうか?私などは、海軍は船で酔うのででダメだな、陸軍幼年学校かなと、半ば本気でそう思っていた。ただ、父や母とそんな話は一度もしたことはない。父はどちらかと言うと、自由人だったから、あまり戦争や軍隊にも関心もなかったのだと思う。当時流行った軍歌なども間違いなく知らなかった。まだ、日本が勝ち続けたころの歌だから私が小学校4年生のころだと思うが、一緒に風呂に入っていて『轟沈、轟沈、凱歌があがりゃ 積もる苦労も苦労にゃならぬ ――男所帯は気ままなものよ髭も伸びます、髭も伸びます無精ひげ』何の問題もない歌詞だが、父は何を勘違いしたのか『子供はそんな歌をまだ歌うな』と本気で怒られた。父に怒られたのは多分この1回ぐらいである。 「轟沈」 と 「男所帯」 を何か勘違いしたのだと思う。★そんな戦時中であったのだが、昭和20年の8月15日は、なぜか中学校のプールで泳いでいた。正午に大事な放送があることは聞いていた。広島や長崎の原爆はあまり知らなかったが、ソ連が参戦したことは知っていた。炎天下の運動場で直立不動の姿勢で聞いた天皇陛下の玉音放送は、雑音が多はっきりとは聞きとれなかったが、日本が戦争に負けたということは全体の感じからよくわかった。一瞬頭をよぎったのは、『軍人勅諭を覚えなくていいかな』ということであった。夏休みの宿題にこの暗記が出されていた。そろそろ覚えなくてはと思っていた時期なのである。5カ条の軍人勅諭ではなく、『我が国の軍隊は―――』に始まる難しい長文である。このリンクさせて頂いたなかには軍人勅諭だけでなく、終戦当時の資料満載である。興味関心のある方は是非ご覧ください。★65年前の8月15日、この日の出来事で、一番私の脳裏にこびりついて離れないのは、玉音放送を聞いて、家路に着いたときに見たソウルの市電の状況である。玉音放送があってそんなに長い時間は経っていない。私たちが毎日乗って帰る京城の市電はとんでもないことになっていた。朝鮮の人たちが手に手に朝鮮の国旗を持って、市電は花電車のような様相を呈していた。とても日本人が乗せて貰えるような状況ではなかったのである。私が65年前の中学1年生の8月15日、その旗を初めて見たとき、時間がなかったので『日の丸をアレンジしたのだ』と言うのが正直な感想だったのである。その後、パソコンを扱うようになって、検索で韓国の国旗の由来も知った。★65年目の終戦記念日を迎えた今日、65年前のソウルでの想いと光景を思い出す。昭和85年である。当時12歳の少年も今777歳を迎えている。子供ながらにも当時をある程度知り、かつ語れる年代もだんだんと少なくなる。今朝の朝日の社説、『「昭和システム」との決別』 には、そのすべてを容認はしないが、基本的に共感する部分も多い。その一部を抜粋する。
■もうひとつの戦後日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。民主党政権は、事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。 日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。
■任せきりの帰結冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。 「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。
■生きてるあなた戦後65年にあたって考えるべきは、「戦後」を問い直すことではないだろうか。それは「昭和システムとの決別」かもしれない。昭和の物差しはもう通用しない。 政権交代は、小さな一歩に過ぎない。政治主導とはつまるところ、主権者である国民の主導ということだ。過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に「生きてるわたし生きてるあなた」しかいない。]]>
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