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平成の虚無僧一路の日記

秦氏はユダヤ人? 

2013年04月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本史の教科書の一つに「聖徳太子は実在しなかった」と
いう説もあるというようなことが掲載されたそうな。
「聖徳太子不実在説」を唱える歴史学者は今や過半数に
上ったらしいが、教科書の“定説”がひっくり返るのは
まだ先とか。

私が昭和47年、慶応の「国史」に進んで、最初に与えられた
テーマが「聖徳太子信仰」でした。「聖徳太子」という
記載は平安時代以降であり、平安時代になって、なぜ
「聖徳太子が祭り上げられたのか」という問題です。

その時、「聖徳太子」は「厩(うまやど)の皇子」と呼ばれ、
キリストと同じく「厩(馬屋)」で生まれたという伝説に
注目し、平安初期に「景教(キリスト教)」が入ってきて、
キリスト教の影響下に「聖徳太子伝説」が作られたと
論じました。

今それが日の目を見ているようです。聖徳太子のブレーン
「秦(はた)の河勝」は渡来人であり、しかもユダヤ人、キリスト
教徒だったというのです。

「秦氏」は、もともとは、中央アジアの弓月国に住み、
景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰し、背が高く、
鼻も高かった。これが「天狗」のイメージです。

中東のアラム語を話していたとされ、ユダヤ人と同様に、
養蚕や絹織物技術にすぐれていたようです。

弓月国には「ヤマトゥ」という地名もあります。秦氏は、
西暦(紀元後)360年ころから数回にわたって日本に
渡来したとされ、5世紀末には2万人程度になり、
日本各地に定住して産業を興しました。一説には
19万人にもなったとか。

秦氏の本拠地「太秦(ウズマサ)」は、ヘブライ語で
「イシュマシャ、ユズマサ」さらに「メシア」に
通ずる言葉で「キリスト」を意味するとか。また、
酒造りを伝えたとされ、秦氏の氏神「大酒神社」は
本来「大辟(おおさけ)神社」で、中国語で「ダヴィ」
と読み「ダビデ」を意味するとか。そこに伝わる
「面」は、鼻が高くユダヤ人の顔である。

絹(ハタ織り)で 財をなして豪族となり、皇極天皇
「秦大酒」は 748年に大蔵長官となり朝廷の財政に
関与した。

秦氏の一部は大分の宇佐に住み「宇佐八幡宮」を建立。
「八幡(ヤハダ)」は「ユダヤ」に通じるとか。

「宇佐八幡」は 749年ころ勢力を持ち始め、大きな
勢力となって奈良に上京し、神輿をもたらした。

秦氏は平安京の造成に尽くしており、「平安」は
「イシュラム(平和の都)」に通じる。794年 平安京
遷都が行われ、その直後に祇園祭が始まった。

伏見稲荷も秦氏の神で「イナリ」とは、ローマの公用語で
「ナザレのイシュ(イエスキリストの別称)」であるという。

さらに「伊勢神宮」「松尾大社」京都の「下鴨神社」も
秦氏によって建てられたといわれ、皇室の儀式を 多数
執り行ってきた。

日本の神話は、ギリシャ神話に似ていると思っていたが、
神話の起源も、仏教伝来より遅く、秦氏一族により
作られたのではないか。その中で「聖徳太子伝説」も
作られた。

(附)
日本の神道の天地創造においては、三位一体の唯一神信仰
であった。この三位一体信仰は、キリスト教における
三位一体(ヤハウェ・イエス・聖霊)と極めて似ている。

伊勢神宮の奉納太鼓のことを「シオン太鼓」と言うそうです。

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