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平成の虚無僧一路の日記

高知の五台山 

2013年04月06日 外部ブログ記事
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高知市の南東、浦戸湾に突き出して「五台山」という山があります。
ここに「吸江寺」がありますので、以前虚無僧で訪ねました。

中国の五台山に模してその名がつけられたといいますが、
標高わずか146mの丘ですから、中国の五台山とは雲泥の差です。
中国の五台山は高知県の三分の一の面積、香川県よりも広いのです。

ここに、鎌倉時代の末、「夢窓疎石(1275〜1351)」が
やってきて、草庵を建てたのが「吸江庵」です。疎石は
翌年には土佐を去り、京都で「南禅寺」や「天竜寺」
「西芳寺」を創建し、1万人を越える門下生を輩出しました。

その弟子の一人、高知県東津野村出身の「義堂周信(1325〜1388)」は
夢窓国師の後を継いで、高知の吸江庵に禅の道場を開いています。

また、室町時代、足利義満の後見人を務めた「細川頼之」も
一時失脚して高知に来ています。「細川頼之」の漢詩『海南行』は
詩吟をされる方は誰でも知っていますが、「海南」が土佐を
さすとはご存知ない方が多いようです。

江戸時代には「山崎闇斎(1618-82)」も吸江庵に来て「谷時中」に
就いて朱子学を学んでいます。

というわけで、都から遠く離れた土佐の高知ですが、歴史上
重要人物が訪れているのです。私の関心事は、京都宇治に
あった「吸江庵」との関連ですが、高知では、なんら
手がかりは得られませんでした。

宇治の「吸江庵」は一休の尺八の友(一路か?)が居たとされ、
江戸時代には黄檗宗万福寺の子院の一つでしたが、なんと
虚無僧寺だったのです。

それで、私は勝手に「吸江流尺八・一路」を名乗らせて
いただいております。

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