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尺八と横笛吹きの独り言

「お別れ会」やら身辺整理やら・・・・お別れの3月だねえ。 

2013年03月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●車で勤務先まで、退職での荷物運搬。
勤務はいよいよ明日(25日)1日で終了。明日は職員に挨拶して、体育館で生徒にチョコットお別れの挨拶をして終わりだ。有給休暇は使い切った。
 いよいよ41年と7ヶ月の教員生活に幕を引く時が来ました。
花粉が最大に舞う中、荷物運搬のために勤務先に出かけた。

花粉症が今年は目に来て、朝は目が開けられない。1日終わるとぐったりと花粉症でダウン。体力消費が激しい。夜は8時〜9時にはダウンした毎日。
 勤務先まではおよそ車で40辧国道463、新青梅街道などを通過しておよそ2時間はかかった。お花見客やお彼岸の墓参りでやや道路は込んでいた。
 途中の道路の桜は満開。車中からお花見。マスクはしているが「のど飴」も常時なめている。
 学校に着きますと、学年の主任やら生活指導の親玉が日曜の今日もサッカー部や野球部部のクラブ活動で登校されている。「お早うございます」「お荷物運搬ですか?」
「先生、ご苦労様です」「いや・・・・」
「皆さん、よくやるねえ」「頭が下がりまーす」
 この方達は日曜日に家庭で過ごすことはほとんどない。各部のチーフでもあるから仕事は半端ではないはず。といって教科指導もおろそかでない。英語や数学、体育など、教科指導、生徒指導にも力は抜かない。日曜日に出勤して、クラブ活動の昼食の合間に採点したり、学年の残りの事務作業、生徒面談、保護者面談、どこの学校にもこういう先生が数名いて学校を下から支えている。日曜日に来ますと、そういうことがよくわかるものだ。
 実はfue先生もクラブこそ日曜日での指導はしなかったが、仕事(成績処理プログラムの変更・改訂・改編)でなんども学校に出かけていた。授業のある日は仕事が落ち着いてできないのだ。日曜日に出向くことがよくあった。残業手当は一切でない(クラブ指導の場合は少しだけ出ます)。いわばボランティアだ。学校の現場についてはまだまだ書きたらない。授業での過酷な生徒との闘いもあるのです。子供が好きでないとノイローゼや精神疾患になります。多くのそういう方を見てきました。

 
●様々な教材資料を自宅で処分しました。
機械設計・原動機・機械工作・工業数理・機械製図・・・・様々な資料も取ってあったのですが・・・・もう使わない。「よーし、捨てよう」。決心。
 苦労してつくった試験問題、設計資料、工作授業資料・・・・一部、残してて置くものもありました。これですっきりした。旅支度(生きてあと15年)。
 もう教えることはないだろう。
65才の退職。実は全日制(昼間)からと定時制(夜)から時間講師の依頼がありました。時間給では2500円くらいの高給だ。その時間に教えてすぐ帰れる。非常勤教員のように5時までの時間制限はない。おいしいお話。
 しかしお断り致しました。(もったいないね)
「教えることはもういいや」「本音は疲れました」
40年も教員生活を続けますと、こういう気持になります。
60で定年してその後、こうして非常勤教員で65才まで5年間頑張りました。それでいいじゃん。
現場では65才まで働く方は少ない。みなさん60才で「もういい」と判断する方が多い。
ヘトヘトになり58才ぐらいで早期退職される方もある。それだけ現場は過酷です。
 しばらく何もしなくて、身辺整理、旅支度、ウオーキング、体力維持、
ほとぼりが冷めたら、時給900円ほどのパートアルバイトを現在物色している。
(年齢制限もなく、なんとかなりそうだ)
人間相手でなくた、だ単に仕事をこなして2時間か3時間で終わる作業だ。(時間勤務)
 あとは尺八三昧・・・・??

 
●ここでの「吹き納め」じゃ。
この階段上での尺八練習もこれでおさらば・・・・
川をわたった、実習工場の2階。4時近く、授業が終わり施設を使っていないことを確認して吹くのです。
吹き納めの曲は「岩清水」と決めた。
1部の4行目から2段のコロコロまでを2回吹いた。
お世話になりました。もうここで吹くことはないでしょう。
 鉄の階段の手すりが、なにか寂しがっていた。そんなように感じた。
追)
 ここで吹いているのは工場にいる助手さん方も知っているようだ。音が丸見え?だもんねえ。用務員さんが聞きに来たことがある。「いいねえ」「聞かせて」・・・・
生徒も何人か、顔を覗かせた。「先生が吹いてんの?」「・・・・」
 お別れするから言うわけじゃないが、学校ってこういう自由があっていいんじゃないの。
前の高校では「尺八同好会」を立ち上げ、生徒が一時10名ほどいました。文化祭での演奏、クラブ紹介での演奏もやりました。女子が2名。
この場合はクラブの時間に正々堂々と練習をしていました。
 

●19日(火は科の送別会(新宿歌舞伎町での飲み屋さん)。
お世話になりました。私もふくめ4名の先生が退職、異動でした。
男所帯の科ですから、後半からは下のほうの話しで盛り上がりました。
その内容については、とてもここに書ける内容ではありません。
 Hな話しや、女子高校生が大嫌いなfueとしては大変に苦痛なひとときでした。
(ほんとじゃよ)
科としてはまとまったね。
私がピエロでした。(誰かが犠牲になってまとまるのじゃ)

 
●22日(金)は進路指導部での送別会。
勤務先のいつも利用する上海料理店。
ママさんに・・・・「お世話になりました。こんど退職することとなりました」
「ザンネンデス・・・・ガンバッテクダサイ」ちょっとたどたどしい日本語のママサン。
ここでの話しの内容は、部の中のお話でまじめなお話。
若い人の言動、行動(いつも弘童と変換されてしまいます)、こんなこともありました。校長が考えている今後の部改革、部員一人増加、新メンバーなどなど。
「広報情報部が解体されて、fueさんを進路指導部に推薦した」などのお話がでました。
「非常勤教員で、選任1に対して0.5の仕事量ですので、大部ご迷惑をおかけしました」
求人票入力作成のステップや形式を作り、マニュアル化しました。求人票をスキャナーで読み取るのを裏表出来るようにしたり、エクセルで封筒宛名ができるように編集しました。プリンタ設置、コピー機設置・・・・どちらかというと環境整備、部屋の改造、移動などもお邪魔しないよう少しやってきました。」
お世話になりました。
私と同じ非常勤の方がお一人。この方は60才で中学の校長を終えて、ここに配属されてこられた。とても穏やかな方で影の戦力にな。前任中学の卒業式に行ってきたそうだ。
紹興酒・生ビール・上海料理・・・・イイ料理に、良いお酒でした。

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