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金田博美、金田朋子

喪主のあいさつ2月15日 

2013年02月17日 外部ブログ記事
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子供のころ、母は大きくて強かった
母と身長が同じころ、きれいで、いつも仕事をいっぱいしていた。
母はいつ寝るのだろうと思った。
結婚して、前ほど母と話すことは無くなった。
男だし、マザコンと思われたくなかったので、わざとひどい返事を返した。私はそれを普通と思っていた。
いつか母がすごく小さくなっていた。おんぶなんかしたことはないけど、腰が曲がって、かわいい人になっていた。
耳も少し遠くなったみたいで、繰り返し聞き返すことが多くなった。
私も、つい必要以上に大きな声で、返事を返した。
でも、母は決して死ぬことは無いと思っていた。
どんなに年を取っても、腰が曲がって、耳が遠くなって、物忘れをすることが多くなっても、どんなことがあっても、私を生んでくれた母は死ぬことは無いと思っていた。

何の前触れもなく、普通の生活の途中に母の死があった。
母と交わした最後の言葉は何だったのだろうと、思い出したいが、思い出せない。
母は歳を重ねていくこと、老いていくことを示し、「気おつけるんよ」と言うように突然に、去って行った。

葬儀・・やっぱりつらい、今日が最後だと思うと、ほんとにつらい。
昨日の通夜まではそうでもなかったけど、今日はほんとにつらい。
母は、最後に私に宿題を残して行った。
救急車が来るまでの、母への心臓マッサージはとてもつらかった。
息をしていない母へ、涙を流しながら、心臓マッサージした。
息はしていないはずなのに、口と鼻から息をしているように見えた。
母は、「博美、こんな弱気でどうする・・強く生きらんと・・」と言うように、辛い大きな宿題を残した。

昨日の通夜の挨拶は何点ですか・・
30点ぐらいかなあー。厳しい母だからなあ・・
母は、少し高いところの写真の中から、「博美、大きな声で、ゆっくりと、姿勢を正して、堂々と話すんよ」とやっぱり、心配しているのでしょうね。

旅行好きの母なので、今、どこまで行きましたか。
周りの景色はどうですか。

いっぱい、いっぱい話すことはあるけど・・

かあちやん、おふくろ、母親・・ありがとう
きれいで、強くて、大きくて、温かくて、厳しくて、ほめてくれて、叱ってくれて、教えてくれて、育ててくれて、
・・・・生んでくれてありがとう。

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