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尺八と横笛吹きの独り言
本曲と民謡とスクランブルだ。
2013年02月15日
テーマ:テーマ無し
残された有給休暇をとっている。寒い1日で今も雨が降り、雪に変わりそうな氷雨だ。
●「本曲」岩清水での気になるところ。
問題はハヒハとツレツの赤の箇所だ。
ここは吹奏するときは、私は2倍で吹くので・・・・ハ(一拍)・ヒハ(一泊)と一拍づつ吹いて2拍吹いていましたが・・・・基本型の高平音源ではハと一拍してヒー・イーハと2拍して結局3拍で吹いています。??そうなんだ。理屈には合いませんが、基本型に忠実に吹かないといけないので、そのように修正しました。なぜそうなるかはわかりませんが、そういうもんだ。で納得せにゃ先に進みませんがなあ・・・・
次の赤部分「ツレツ」の部分も同じです。ツー・レー・エツと3拍なんです。
●地域での集会場練習。
本曲「岩清水」・「寒月」・「慷月調」とマイ音源を収録した。
「岩清水」はNO・9となり「寒月」は7、慷月調が8番マイ音源となった。
いづれも全曲でなく最初の3行目から4行目までで、時間で3分〜4分程度のマイ音源だ。
「寒月」にも2行目に先程の「岩清水」の赤と同じ「ツレツ」がある。
「慷月調」では2行目1箇所「ツレツ」と3行目に2箇所「ツレツ」ある。いづれも拍数を一拍多くとっているように思える。
これらを修正してマイ音源に採ってみた。まだまだ基本型にはほど遠いいがねえ・・・・
●山中節の採譜
こんど6月の「おさらい会」で、この山中節を唄われる女性がおられる。
この唄はむずかしい。平成18年に琴古で自己流譜面をつくってあるがいい加減なものだ。節がむずかしくこの曲が出ると逃げてきた。この曲を唄われる方はコチラでは少ないし、上級の唄だ。河童さん譜面も出力させて頂いた。この音源は多くあるが、「これはオラほうじゃこうだよ」の唄っぽい。音源を聞くほどに、譜面とニラメッコするが違う。
これは困った。
CD音源の三代目の米八さんという芸者さんの唄っているのを音源とした。
しかし難しい唄だ。細かに採譜しても無駄な気もしてきた。この唄はアバウトに吹くのが適当な感じがうる。篠笛でも合わせるのがむずかしい。とくに篠笛はベタでふいてはいけないので、曲を歌えなければやめたほうがいい。篠笛は今の自分では歌手の邪魔をするだけだ。篠笛はヤーメタ。
ひたすらICレコーダで音源を流し繰り返ししながら、譜面にしたが自信がない。
●採譜した譜面。音源は6寸で三代目米八さんの唄。
相変わらず汚い譜面だが、これ以上清書はしない。これをまた修正し、試行し、完成度を高めるステップを踏まないいけないだろう。
●山中温泉の西の位置に真言宗高野派 準別格本山国分山 医王寺という薬師寺があり、東には松山という地名がある。(地図で確認)
「東ゃ松山 西ゃ薬師」というわけだ。
●山中節について
石川県の代表的民謡。山中温泉地方の古い盆踊甚句が座敷歌になったもの。日本民謡の中でも情緒あるゆったりとしたタイプの典型。
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E7%AF%80
●忘れしゃんすな山中道を
東ゃ松山西ゃ薬師
山が高うて山中見えぬ
山中恋しや山にくや
●全国の民謡の中でも、生粋の温泉民謡として知られる山中節は、元々は、歌詞や曲の長さに定型がなく、当時は山中温泉の周辺の農村などで歌われた土着的な歌であった。
しかし、いつの頃かお座敷で唄われるようになったが、それでも定型的なものはなく、曲の長さもまちまちであったという。
それを、昭和初期に、初代米八が1節の三味線の長さを4分の4拍子で13小節で終わるように定め、正調山中節の定型が完成したと言われています。
初代米八は、その山中節を唄ううえでのポイントとして、「抑揚にこだわると歌詞がはっきりせず、歌詞をはっきりさせようとすると抑揚が伴わず、その辺の調和がミソです。
要は温泉情緒たっぷりの抑揚で、歌詞がよく分かるように唄うことです。」と語っています。http://www.kagashi-ss.co.jp/yamanakaza/bushi.html
●山中温泉は、福井県境に近い両白山間や大聖寺川に沿って点在する温泉郷の中でも古くから知られた温泉。『山中節』は、その湯と人との長い交わりの中から生まれました。
かつて温泉客の大半は周辺の漁師や船頭たちでした。「山が赤くなる 木の葉が落ちる やがて船頭衆がござるやら」。古い唄にうたわれています。有数の豪雪地帯。男たちの多くは春から秋にかけて北前船に乗って出稼ぎをし、冬になると周辺の温泉でゆっくりと湯治をしたのだそうです。
逗留期間は短くても1週間、長い人は1か月もの温泉三昧で労働の疲れを癒しました。湯の中でのんびりした男たちは、北海道・江差や松前で習い覚えた追分節をうたい始めます。浴衣を手に宿の客をもてなす「ゆかたベー」と呼ばれる近郷の娘たちがそれを真似し、浴場の中と外で唄のやり取りをするようになりました。『山中節』は、湯治客とこれらの娘や女中たちの唄のやり取り、土着の盆踊り唄などとの融合から生まれたとされています。
このようにして生まれた唄ですから定まった歌詞や節はなく、曲の長さもまちまちでした。“湯座屋節”と言われてきた温泉唄の、節回しを整え歌詞を整理して、情感を込めてうたわれる正調山中節の原型を確立したのは、昭和初期に活躍した米八という芸技さんだったそうです。
聖武天皇の天平年間(729〜748年)、僧行基が自ら薬師如来の尊像を刻み開基したと伝えられ、承平年間(931〜937年)に兵火に焼かれ、温泉と共に荒廃しましたが、建久年間(1190〜1198年)に至り、長谷部信連が温泉を再発見、この寺を再興されました。
山中節の一節に「東や松山、西や薬師」と唄われ、古くから温泉入湯客の心と身体のやすらぎの寺として親しまれています。
真言宗高野派 準別格本山国分山 医王寺
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