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平成の虚無僧一路の日記

「会津藩・糞尿事件」 

2013年01月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



クイズ番組で「会津藩が降服したのは、糞尿に困ったため」と
いうのが「正解」にされ、会津人は「ふんぱんもの」と抗議
したのでありました。

実は私、この「遺体や糞尿処理」に関心があります。

会津贔屓の作家「中村彰彦」氏は、「5,000人が籠城したが、
城の敷地は、約10万坪あり、深いお堀に囲まれて、糞尿だって
始末はできた」と反論してますが、はたして真相はいかに。

5,000人が毎日排泄するのですから、たしかに、城内は
すぐ満杯になったでしょう。

死体は堀に投げ込んだというのを読んだ記憶があります。
糞尿も堀に捨てたのでしょうか。降服後、遺体は、誰が
どう処理したのでしょうか。

小学校の林間学校の記憶といえば、ぽっちゃんトイレ。もう
満杯で山盛り。あれは今でも夢に出てくるくらいの恐怖でした。

長良川の花火大会で、土手に5万人が詰め掛けた時のこと、
一番困ったのがトイレです。仮設トイレの前は、延々長蛇の列。
3?40分も待たされ、よく みなさん洩らさなかったものです。
花火より、そちらに気を奪われていました。


さてさて、太平洋戦争中は、会津若松歩兵65連隊が置かれ、
2,500名の兵隊さんが常駐していました。また現在の「鶴ヶ城」を
訪れる観光客数を調べてたたところ、観光客が多い8月で、
日に2千人。トイレは11ヶ所。これで対応できるなら、
5千人でも 案外大丈夫のようです。

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