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平成の虚無僧一路の日記

小説 『虚無僧踊り』 ?虚無僧踊り 

2013年01月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



小説『虚無僧踊り』のつづき
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四、虚無僧踊り
  
 今はインターネットで何でも調べられる。「虚無僧」で検索すると
「虚無僧研究会」というのもあって、会員が六百人もいるというのも
驚きだった。でも 全員が 日頃 托鉢をしているわけではないらしい。
虚無僧が吹いた曲を伝承するのが目的で、虚無僧の格好して尺八を吹く
のは、特別なイベントの時だけのようだ。尺八には都山流や琴古流など
いくつかの流派があるが、虚無僧の曲を伝えるのは一部の少数の会派で、
それらを総称して明暗流というのだそうだ。その一つが、なんと名古屋に
あることも判った。しかも中村区。豊国神社のある中村公園の近くで、
夏美の家からも歩いていける所だった。

 また、鹿児島には「虚無僧踊り」というのがあることも知った。鹿児島
にも虚無僧寺は無かった。村の鎮守の祭りに村人たちが虚無僧もどきの
格好をして踊る。天蓋とうよりバケツを被っているようで、滑稽ですら
あった。

 「そうだ!」。夏美の頭の中である思いが浮かんだ。「東照宮の祭礼の
虚無僧行列を復活しよう」と。さっそく東照宮に行って、若い宮司さんに
そのことを話してみたが、「四月十七、十八日の祭礼には、雅楽の演奏が
あるので、そこに話してみては」と、気の無い返事だった。徳川のご威光を
失った現代では、東照宮に祭礼行列を復活させる力は無いようだった。

 「それなら、広小路祭ではどうだろう。いや“にっぽんど真ん中祭り”に
虚無僧踊りで出よう」と、思いは膨らんでいった。来年の夏、大学生活の
思い出に、イッパツやらかしてみたいという想いが、夏美の胸の中に
フツフツち湧き上がってきたのだった。

 「それには まず 尺八を知らねば」と、中村公園の近くの「尺八教室」を
訪ねた。尺八の先生は六十代のおじさん。生徒は六十代から八十台代の
年配者ばかりとのこと。夏美のような若い女性はいない。少々がっかり
したが、「最近若い女性の尺八家も出てきていますよ」との話を聞いて、
「よし、私も」と、尺八を習い始めることにした。

家に帰って、母と祖母にその話をすると、母と祖母は顔を見合わせて
険しい顔になった。まず母が「女の子が尺八なんてとんでもない。
やめなさい」と、めずらしく厳しい口調で言った。祖母もまた「なんで
尺八かねぇ」と嘆息まじりにつぶやく。

「なんで、いいじゃん。最近は女性の尺八家もいるのよ」と夏美は言ったが、
「ダメです。絶対に許しません」と母は言う。
「もう私子供じゃないんだから、私が何をしようと勝手でしょ」と夏美は
キレた。祖母や母が反対するとは思いもしなかった。だが夏美の決意は
固い。母と祖母に内緒で、夏美は尺八教室に通い始めた。

 最初は、エスロンパイプの練習管をあてがわれたが、夏美はすぐ音が
出せたので、「筋がいい」とほめられ、竹の本物の尺八を買うことにした。
本物は三十万から二百万もすると言われて驚いたが、ネットオークションで
安く買えると教えてもらった。かつて十万人はいた尺八人口が、今や
三万人だから、七万本もの尺八がタンスに眠っている計算になる。
おじいさんや父親が吹いていた尺八がネットオークションにどんどん
出てくるようになった。だが、需要が無いから三万から五万円で落札
される。でも素人では、どれが良いかわからないので、夏見は先生に
選んでもらって、製管師の銘や形から、細身の尺八を三万五千円で
落札することができた。

 夏美は三ヶ月で『調子』という曲を吹けるようになった。だが目標は
「どまんなか祭り」で「虚無僧踊り」を踊ることだ。尺八教室のおじさん
たちでは、尺八は吹けても踊りは無理。踊り手を五十人ほど集めなければ
ならない。高校の時、体育祭でクラス対抗のダンスがあった。あの時の
仲間に声をかけてみよう。おもだった友達に一斉メールをしてみた。

 まず、親友だった奈美から返事がきた。「尺八?キョムソウ?なにそれ、
ムリムリ」。静香、典子、加奈、直美・・・次々と返事がきた。
たいてい「ヤメテ、きしょくわるい」とか「ほんき?キモ悪い」と
いった返事だった。最後に美紀から「コムソウ、おもしろ僧」と返事が
来た。美紀からフェイス・ブックというのを教えてもらった。これは
実名で友達から友達へと連鎖的につながるサイトで、自分の出身校や
趣味などを登録しておくと、「あなたの友達では?」と、それに
関りのある人の名前が次々にリストアップされてくる。その人たちに
「友達リクエスト」すると、たちまち二百人もの人とつながりが
できた。そこで「どまんなか祭りで虚無僧踊りの参加者募集」との
メッセージをアップしたら、四十七名が応じてくれた。

 ネットを通じてどんどん仲間が集まり、第一回の顔合わせを錦通りの
短歌会館で開いた。虚無僧の衣装はファッションデザイナーの亜紀。
布地は生地問屋に勤める信夫が提供してくれることに。衣料品メーカーの
貴史は「デザインが決まれば、中国で縫製してもらうと安くできる」と
教えてくれた。尺八は竹屋の剛志。さて、天蓋はどうしようということに
なった。ネットでも買えることが判ったが、二万円もする。すると
東南アジアから雑貨を仕入れている博史が「ヴェトナムで作らせれば
安くできる」と提案してくれた。天蓋の写真をパソコンで送れば、
その通りに作ってくれるとのこと。すぐに手配してもらった結果、
百個まとめて注文すれば、船便の輸送料も含めても単価は五百円で
すむという。

 衣装や小道具類の見通しが立ったところで、オリジナル曲を作らな
ければならない。これもネットで知り合った音楽プロデューサーの
志野が、「コンピューターで作曲から録音までできる」と、引き受けて
くれることになった。夏美もスタジオでの曲作りに立ち会った。
尺八の音も音源CDから取れる。ムラ息、風息など尺八独特の表現も
コンピューターでできるのには驚いた。パソコンの画面上にキィボード
で、まずリズムパターンを打ち込まれ、それに大太鼓、締め太鼓、
鼓、鐘、木魚などの音色がつけられる。それにメロデイが加えられ、
三味線や琴、尺八、笛の音に変換されていく。変更、修正、追加も
画面上で思いのまま。プロの尺八奏者でも難しいフレーズを簡単に
作ってしまう。これではもう演奏者は不要だ。でもパソコンの
機械的な音は、いらリズムやピッチが正確でも、生のぬくもりある
演奏とは似て非なるものだと、夏美は感じていた。

 こうして曲が完成すると、振り付けだ。振り付けは夏美が担当した。
ユーチューブで鹿児島の各地に伝わる「虚無僧踊り」も見て参考にした。
だが、夏美が虚無僧に求めるイメージは、のんびり優雅な舞ではない。
人生の厳しさ、極限に追い落とされた者の地の叫びだ。首塚で聞いた
虚無僧の内に秘められた厳しく鋭い尺八の音だ。首を斬られた虚無僧の
無念の思いが夏美の体の中から湧いてくるようでもあった。

 踊りの練習は、中村区の水道公園内にあるアクテノンで行われた。
しかしここは、なかなかこちらの都合の良い日が空いていない。
交通の便も悪いし、全員が揃うのは大変だ。そこで、住んでいる
地域ごとに四つのグループに分けて、中村公園、名城公園、白河公演、
そしてセントラル・パークにそれぞれ集まる場所と時間を決める
ことにした。その練習を見ていた人が仲間に加わったりで、参加者は
最終百名を越えた。
 いよいよ「どまんなか祭り」。1日目は中村公園からスタートする。
全員が籠のようなものを頭に被っての登場という異様な光景に観客
から笑い声も出た。しかし、そのどよめきの声は、最初の尺八の迫力
あるムラ息の音で一瞬にして消えた。尺八のイントロが終わった
ところで、一斉に天蓋を頭上に放る。それをキャッチして、天蓋を
左手に抱え、右手で尺八を振りながら烈しく踊る。天蓋と尺八が
しばし空を舞う。「虚無僧踊りは奇抜な意匠が注目を浴び、入賞には
ならなかったが、翌日の新聞でも大きく掲載された。そして夏美の
インタビューも載った。夏美にとっては、大学四年の最後の青春。
この企画を通して多くの仲間、先輩、社会人と強いネットワークが
できた。そんなコメントだった。

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