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雑感日記

鈴鹿8耐 

2010年07月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


MotoBeCool
  
真夏の祭典「鈴鹿8耐」開幕。今日は計時予選。猛暑の中みんながんばれ! http://www.j-bike.com/blog/2010/07/206 約4時間前 webから あなたと1人がリツイート 昨日のツイッター、私がリツイートしたものである。MotoBeCool は、NPO The Good Times のホームページなど担当してくれている「まっしま」さんのツイッターなのだが、リンクされているサイトは、『モトビークルのバイクのネタ帳』 今週は鈴鹿8耐である。まっしまさんは、かっては8耐をなんども走った実績のあるライダーなのだが、今夜から応援に現地入りするとか。それを聞いて、忘れてしまっていた『鈴鹿8耐』を思いだした。★現役のころは、観衆も20万人と言われたころで、鈴鹿サーキットも鈴鹿市も人と車で埋まった、鈴鹿8耐最盛期と言ってもいい時期だった。当時は国内市場を担当していたし、レースはもともと専門の範疇だったので、と言うより自分がその雰囲気が好きで勝手にスケジュールを立てて、前週から翌週の全国安全運転大会まで、3週間は鈴鹿に貼り付けの状況であった。もう何年もそんな現場から離れてしまうと、不思議なほど興味も関心も失せてしまうものである。今は冷静に横から、鈴鹿を眺めている。日本にも、今では幾つもサーキットが出来たが、SUZUKA だけは、別格のような気がする。あの時代に、世界のレースに参戦するだけでなく、SUZUKAを造った本田宗一郎さんの先見性は、流石だと思う。まだ建設中であった鈴鹿サーキットを広告看板の件で見学しレーサーのあのサウンドを聞いた時の感激も昨日のようによく覚えている。まだ、カワサキがロードレースはやってはいなかったが、MFJの運営委員をしていた関係で『24時間耐久』も現場で体験した。★その後、世界耐久の分野では、カワサキフランスが席捲した時代もあったが、このチームフランスをしても、『高速耐久』と言われた鈴鹿8耐は、カワサキにとって、優勝は無縁だったのである。ラッセル、アーロンスライト組で優勝したのは1993年、長い8耐の歴史の中で経った1回のカワサキ優勝なのである。そんなたった1回の優勝の機会に現場にもいたし、いろんな形で関係した。その時のレース担当が故岩崎茂樹君である。★そんな時代からもう20年近くなったが、8耐もファクトリー中心の時代から変わったが、バイクファンの夏の一大イベントとして続いているようである。今年のエントリーリストを見ると、最初の行に、武石伸也君がKawasaki ZX 10Rで出場するようだし、Kawasakiのマシンも何台かエントリーもあるし、懐かしいBEET RACINGや山科カワサキの名前も見られたので、何かほっとした感じである。山科カワサキの『よしけん』さん元気なのだろう。今回の8耐の解説者を務める世界耐久二連覇の北川圭一君は山科カワサキがその故郷なのである。チームグリーンを経て、93年夏には塚本と組んで5位に入った頃はまだカワサキだった。今年はどんな8耐になるのだろう。まっしまさんのツイッターで、8耐を思いだした。現実には、思い出だけの8耐になってしまっている昨今である。]]>

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