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Jii−Jiiの日記

「○○家の人々(第3章 私の事・高校時代まで)」を読んで 

2012年12月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

年賀状やメールのやり取りで、ここ2・3年 再度お近づきとなった○○様の「自分史の原稿」の読後感を書いてみました。○○様は、姓が町名になる位の、今で言う「格差社会の上位」「上流社会」の住人で、幼少・小学生・中学生時代は大人びていました。ボクが○○様と共有する時代は、幼少・小学・中学時代で、「○○家の人々」を読んでいる最中は、ボクの当時の生活を思い出しながら楽しく読ませていただきました。<幼少の頃><小学生の頃>○○様が子供6人の末っ子であった事に驚きました。子守の○○さんにおんぶされた関西汽船(大阪商船)と別府港、氏神様(朝見神社)の大祭の稚児行列の「お殿様」、日暮れまで外でドロだらけで遊んだ仲間の大将、1学年下の少年時代はキャッチャーだった「鉄腕稲尾投手」、○○様が溺れた「北浜海岸」(ボクもここで「泳ぎ」を覚えました。)、アメリカ進駐軍の別府港上陸とアメリカ文化への憧れ、社会野球(星野組と植良組)等々を思い出しました。<中学生の頃>○○様は、中学校の生徒会会長(選挙にて)、演劇部や絵画部等々で活躍したことをさらりと流して書かれていました。ボクと共通する部分は、○○様が主役を演じた英語劇(市 優勝)ベートーベン役で実際に「月光の曲」をピアノ演奏し、ナレーションが素敵だった○○様も、更に中学の英語の教師が駐留軍のアメリカンスクールへ引率され(劇のメンバーとスピーチの女子)、ボクはアメリカの美しい女性の先生とコカコーラの味を思い出しました。英語劇のボクのセリフは二言三言でしたが、緊張のあまり高熱を出しましたが、無事最後まで頑張りました。英語の先生は若くしてなくなりましたが、ソロバン3級取得や、早朝の書き取りテスト(毎日)、英語劇・スピーチ・アメリカ人の出会い等々でボクの生涯の教師となっています。<高校生の頃>本文にも書かれていますが○○様は、高校でも、入学まもない一斉テストで10位で、挫折といえば「東京芸大」一浪で入学した1年位かなと思ったりして読んでいました。○○様は進学コース、ボクは3年生で「就職コース」で、殆ど共有する部分は少なかったですが、大学進学で東大現役合格者や九州大学入試にバス数台で受験する姿を見るとき、「母子家庭」をチョッピリ恨んだこともありました。○○様の最後の言葉「忘却は頭脳の重要な働きかもしれない」は心に響きました・ボクが最愛なる母を北九州市小倉区に赴任していましたので、支店長の計らいで支店長車を使用しましたが、死に目に会えず生きていけないと瞬間思いましたが、最愛なる妻がいるので、生きる気持ちの方に傾きました。...

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