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たかが一人、されど一人

それでも日本人は「戦争」を選んだ 加藤 陽子 著 

2010年03月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

私の日記を読んでくれている友人takさんのお薦めで読ませて頂いた。takさんにまずお礼申し上げたい。明治時代に入ってから日本が世界との関係(安全保障と外交)をどのように捉えて具体的な行動してきたかを解説してくれる。私立高校の生徒を対象にした5日間の講演を書き起こし風に纏めたものなのでまず読み易い。内容的には歴史的なポイントを大中項目に分類して文章を立てているが、この構成が実に巧みで日本の現代史が頭の悪い老人にも系統的に流れ込むようになっている。<br /><br />現代史に登場する人や事件の名前に関しては断片的にいろいろな事を知っているつもりであるが、全然本質が分かっていないと言う事が分かった。正に目から鱗の思いでもある。明治維新によって幕藩体制は引っくり返ったが、国民国家としての日本国が形成されたのは憲法が制定された1880年代後半だろう。日本国建設を担った先人が西欧の先進諸国の植民地化を避け、国の主権と安全保障を確保するための方策を考えていく中で当初は朝鮮半島の権益確保が課題となりで日清日露戦争に踏み込んで行く。<br /><br />本書はこの辺から説き起こされている。歴史を左右したような日本人について様々な資料を分かりやすく平文に直して解説しているし、日本が脅威と感じていた支那やロシア更には欧米諸国が日本をどのように見ていたかについての翻訳解説が生き生きと描かれているのが分かりやすい。著者が最も得意とするところは1930年代である。現在この辺の事が実に曖昧にされているが、日本は安全保障上の危機感を益々募らせ、最初に確保した朝鮮半島から大陸内部の満蒙、北支から更には海洋を超え南方に迄生命線と称して権益地域を拡大していく事になる。<br /><br />この間世界とどのような折衝が行われたかについて非常に簡潔に要点を整理してくれる。そして結局米英蘭と開戦に至る訳だ。この辺の事を子供も大人ももう一度謙虚に振り返る必要がある事を痛感する。開戦当時、いま言われるように負けると分かっていながら開戦に導いた指導者ばかり批判的に言われるが、実は国を挙げて開戦を喜んでいる事が証明されている。生きている人間は全て思い当たる事だろう。その原因たる国内政治や体制(軍事を含め)の問題点を要約すれば「戦略性の欠如」に尽きるように読める。この辺が右翼から余り誉められないのかもしれない。<br /><br />本書を読んで今迄に聞いたこと無い人について随分貴重な情報を得た。その一人は海軍の軍人で水野廣徳である。彼は1929年に「日本は戦争をする資格が無い」という事を喝破している。もう一人は蒋介石の外交面を担当した胡適で彼は米ソを対日戦に引きずり込むために「日本から仕掛けられた戦争を正面から受け止めて、アメリカとソ連が助けに出てくるのを待つ必要がある。その為には2,3年の負け戦は覚悟しなければならない。」(日本切腹中国解釈論)と言っている。先の水野氏の話は毛経済ジャーナリスト石橋湛山氏の説ともよく似ている。胡適の説は初めて知ったがこれも凄い。どこの国にも訳が分かった人はいるものだとしみじみ思う。<br /><br /><iframe style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px" marginwidth="0" marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=8ABB95&IS2=1&npa=1&bg1=8ABB95&fc1=0E2213&lc1=0000FF&t=takaga05-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&asins=4255004854" frameborder="0" scrolling="no"></iframe><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/3089830164664281219-5051086031767763002?l=takaga.blogspot.com' alt='' /></div>

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