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雑感日記
「三つ子の魂百まで??」 よりは少年期
2010年06月23日
テーマ:テーマ無し
最近は検索で何でも出てくる。
いろいろな説があるが、3歳までにはこだわらないという解釈もあって、ちょっと納得した。
前回にも書いたが、私自身、3才までの記憶など皆無である。
覚えているのは、朝鮮太田から京城に移住した5歳以降のことからである。
それ以降のことは、いろいろあったが意外にちゃんとした記憶もある。
★振り返ってみて5歳まではともかく、
それ以降昔で言えば、『元服』の15歳までの少年期に、私の骨格は形成されたと思っている。
5歳から15歳までの激動の『10年間』が私の人生のベースになっているような気がしてならない。
その中間点、13歳の夏、昭和20年8月が終戦である。
その年の12月8日に日本に引き揚げて明石に帰ってきた。
所謂、生活はそこから、とても想像できないほど一変した。
戦時中だと言っても何事もなく豊かで平穏だった当時の外地京城での環境と、
空襲で焼け野原になり、食糧事情も極端に悪い戦後の日本、個々の家の事情を通り越して、その環境は一変したのである。
さらに加えて、個々の家の事情も、一変どころではなく、全く違う世界が待ち受けていた。
★それが、どんなものか思い出しながら、書いていこうと思うが、
私は一応大学卒となっているが、勉強をしたのは、中学2年までである。
小学校でも、中学校でもよく勉強したし、成績も良かった。
小学校卒業時には知事賞に当たる京城府伊賞など頂いた。
いろんな理由はあるのだが、中学3年以降、大学卒業するまで、勉強をした記憶がない。それ以降、高校、大学は野球部卒、大学は単位はあったのだが卒論を出さずに1年野球部の監督をしていた。
そういう意味では私は実質『中学卒』なのである。
終戦までは、金持ちの生活だったし、学校の成績も良かったのである。
それが、結構高いレベルで維持され、それを自ら経験もしたし、当時は社会的な地位も高かった伯父に連れまわされたこともあって、子供の頃からその後、経済界でトップを歩いた人たちを当時は単なる『ただのおっちゃんとボク』の関係で接したりしていて、
それが何となく、何事にも物怖じしない、厚かましさや自信に繋がっているのだと思う。
★私は、そんなめぐりあわせを、ひっくるめて『運が良かった』と思っている。
自分は『ツイテイル』と思うから、すべて『運がいい』と思ってしまうし事実『運がいい』のである。
それは、今でも続いていて、結構運がいい。
それに、『いい加減でネアカ』な性格が、いい方向に作用している。
例えば、世に言う東大出の人を、そんなに特別に思ったりしないのである。
中学校のときは結構成績は良かった。私より下の成績の人が沢山東大に行っている。
『お前も行けたのか』と言われると、数?や嫌いな理科が受験科目にある国立大は、東大以外のどこでも多分入学できないのは間違いないが、
『自分より下のやつ』でも東大に行ってると勝手な理屈を自分で作って、自分で納得しているのである。
★大学でも、勉強など一切せずに、野球をしていたから、成績はめちゃ悪かった。
川崎航空機に伯父のコネで入れて貰ったのだが、面接の会社側の第一声が『君は成績が悪いねえ』で始まった。いろんな理屈を並べて『成績悪くても、会社の仕事などで人に絶対負けたりはしません』と言い切った。
『君、面接は良かったな』とコネで入れて頂いた方に言って貰ったが、この面接の自分で言った言葉と、入れて貰ったということをずっと退職するまで意地のように思い続けていた。。
そんなことで給料など安いと思ったことなど一度もない。
★何だかんだと言いながら、常に『周りの人』に恵まれて、人生77年生きてきた。
13歳までの主として小学生時代。
今から思うと、考えらないほど裕福であった。
戦時中だというのに、アメリカ製の運転手つきのパッカードやオールドモビールと言ったクルマがあった。当時の金で1万円だと言っていた。給料が70円の時代である。何となくそんなことは、知っていた。
伯父は私のために庭にプールを作ってくれたりもした。小学生なのに神戸の花隈や有馬の芸妓さんたちとの宴席にも何度か連れて行ってもらったりした。
子供は金など持ってはいけないと、小学校時代お年玉を貰ったことがない。
そんなことからか、その後もずっと、一生小遣いを家内からも貰った経験がない。
要る時には貰うが、そんなことも少なかった。逆に言うとタバコなど吸った時期もあるが、自分でタバコを買ったりすることは、ほとんどなかった。
そんな、不思議な経験をしている。
終戦後から、一転金がなくなって、その上父が脊髄カリエスで何年も寝込んで、1本2000円のマイシンの注射代に、伯父がその後1坪100万円にもなった上の丸の土地を1坪2000円で、順次手放して、売り食いの生活であった。
高校の3年のときは、神戸港の沖中士、所謂アンコのアルバイトもした。
父は高校3年生の1月2日に亡くなった。
父が3年近くも寝ていたので、大学には行かないつもりで、これも伯父のコネで無試験で2社ほど決まっていたのだが、1月に亡くなったので治療費が不要になり、、伯父が一転して大学に行けということになったのである。
先ほど勉強はしたことがないと書いたが『ウソ』だった。この2ヶ月間ほどは、猛烈に勉強したように思う。
金が本当にない生活は、30歳ぐらいまで15年間ほど続いた。
その間、肺結核になり、休んだりもせずに野球を続けていたら、肺に空洞が出来て、それでもそのまま野球をしていたら、診療所の先生に見つかって『菌が出ているから、会社に置いておくわけには行かない』と三田の療養所に入院させられた。
不思議なぐらい回復して、1年で職場に戻って『単車営業』に二輪と出会ったのである。
★30歳以降は、どちらかというと、普通一般のかたのサラリーマンとして、普通の生活になったと思っている。
まあ、ざっと若い頃の境遇はこんなことだった。
オモシロい話は、山ほどある。
このあともそうだが、自分の人生を切り開いたという実感は全然ない。
『運に任せて』、なるようにしかならないと、その流れに乗って生きている。
自分の行く道に、いつも誰かが『何かを』与えてくれる。
そんな『小さないいチャンス』を見逃さずに、生きてはきた。
そんなのは、時間を掛けて考えてみても仕方がない。
みんな『勘』に頼って大丈夫である。
そんな生き方の77年、その土台を作ってくれたのは、少年期であり、一番影響を受けたのは、父ではなくて、伯父であった。
最後までお読み頂いて有難うございました。
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